39歳「工場夜景」に鉱脈を見た男の痛快な稼業 元保育士はこうしてプロカメラマンへ転じた

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廃墟ブログをやっているうちに、ワンダーJAPAN(三才ブックス)で軍艦島の写真を掲載するチャンスをもらえた。報酬も安いけれど支払われた。

不定期に雑誌に廃墟写真を掲載しているうちに、2008年写真集『廃墟ディスカバリー』(アスペクト)を出版することになった。

「出版できたのは嬉しかったのですが『写真集って出版しても、こんなに反響ないのか!!』と驚きました。ほぼ誰からも何も言われませんでした。1万部以上出版して完売したので、写真集としてはまずまず売れていると思うんですが……」

ただ売れていたので、続刊を出すことはできた。翌年には『廃墟ディスカバリー〈2〉』(アスペクト)、さらに翌年には『工場ディスカバリー』(アスペクト)を出版した。ただ、やはりあまり手応えは感じなかった。

工場夜景(撮影:小林哲朗)

そんな2009年、専門学校時代に知り合った女性と結婚した。

写真集は3冊出したが、まだ本業は保育士だった。

徐々に写真家としての収入も増えてきたが、もちろん安定感はない。安定した仕事を辞め、フリーランスの道を選ぶのには勇気がいる。

「保育士として10年以上働いてきましたから、何となく先が見えてきたんですよね。『これから10年後も俺、同じことやってんのかな……?』と思ったら、ものすごい絶望を感じたんです」

保育園ではそれなりにうまく立ち回っていたが、それでも軋轢はあった。苦手な同僚と、これからも延々と付き合わなければならないのも辛かった。

「たった1回の人生なんだから、カメラマンとして生きてみよう。きっと面白いぞ」

と決断した。そして2012年に保育士を辞めた。

「辞めた年に、子どもが生まれました。余裕はなかったですけど、奥さんはなんとか理解してくれました。出産後仕事(保育士)に復帰して1年間は働いて家計を支えてくれましたが、今は専業主婦をしています」

写真に携わる仕事へ

保育園を辞めた後は、とにかくなんでもいいから写真に携わる会社で働いてみようと思った。自宅から歩いて5分の場所にあった写真系の会社に入社した。

「そこは主に『幼稚園の写真』を撮る会社でした。いわゆるスクール写真というジャンルです」

スクール写真とは学校行事などの様子を写真に収める仕事だ。たとえば、学校から依頼されて修学旅行に同行して、行事を楽しんでいる様子を撮影する。

「この会社はひどいブラック企業だったので、半年だけ働いて辞めました。ただ、辞めた後も、フリーカメラマンとして契約しました」

スクール写真は、あまり報酬は高くないのだが、景気に左右されづらいというメリットがある。

「毎年大体同じ時期に同じイベントがありますから、安定して仕事をもらえます。作家活動がうまくいかない時も、スクール写真をやっていれば安定します。現在もスクール写真は仕事として続けています」

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