朝ドラ「わろてんか」が訴えてきた笑いの本質 プロデューサー&脚本家が作品を振り返る
――近年、大阪放送局が制作した朝ドラは実在の企業をモデルとした、ある種、経済ものの題材が続いている印象がります。
後藤:「マッサン」(2014年下半期放映)もそうですし、「あさが来た」(2015年下半期)、「べっぴんさん」(2016年下半期)もそう。今回の「わろてんか」もそうですし、次の「まんぷく」(2018年下半期)も即席麵が題材の一つですからね。大阪らしい一代記ということになると、どうしても商業的な題材がメインになってしまう側面はあります。
吉田:今回の舞台をどこにするか、ということはいろいろと考えました。で、やはり商売を描くならば、始まりは(大阪の商業の中心地である)船場だろうと。今回、調べてみて面白いなと思ったのは、船場が「許す社会」だったということ。何度失敗を繰り返しても、また何度でも立ち上がり、それを許してくれる。資料を読んだ時は感動しました。
後藤:以前は、大阪放送局制作の朝ドラも、西日本を舞台にしていたこともありましたし、もう少し広がりがあったと思うんですが、最近は大阪に偏ってるところがあるかもしれません。また他府県に広がっていけば朝ドラのバリエーションが増えるかもしれないですね。一時期、朝ドラは現代を舞台とした等身大の作品が続いた時期があり、内容も自分探しが題材となることが多かった。朝ドラは社会を映す鏡のようなところがあるので、時代がそうした作品を求めていたのだと思います。今はそうではなく、むしろ家族愛がテーマになることが多くなったと見ています。
大阪のお笑い観がわかる最終回
吉田:東日本大震災の影響も大きかったと思います。
後藤:そうした時代を反映した流れの中で、古き良き家族みたいなものを描くとなると、どうしても古い時代の話になってしまう。それがなんとなく大阪放送局では、女性一代記プラス経済という流れになっているのかもしれません。
――いよいよ「わろてんか」もクライマックスに向かっています。吉本興業を描いたドラマではないとのことでしたが、それでもよしもとが提唱する、われわれは笑いで人々の暮らしを豊かにする会社なんだ、という哲学は色濃く反映されていたように思うのですが。
後藤:大阪の人自身が持っているその哲学が一番現れるのが最終回じゃないかと思っています。
吉田:実は第一話の頭にもそのヒントがあったんですよね。
後藤:大阪人が持っているお笑い観に吉本興業さんが大きな影響を与えていることは間違いないと思います。大阪で生まれ育った人が最終回を見れば、小学生の時から馴れ親しんできたそのお笑い観を再認識できるかもしれません。大阪らしい笑いに、「こいつらアホやな」と、思いながら笑っていただけるエンディングになったと思います。
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