朝ドラ「わろてんか」が訴えてきた笑いの本質 プロデューサー&脚本家が作品を振り返る
後藤:日本の演芸がどのようにして、最終的には漫才という形になったのか。そこはきちんと描いたつもりです。演芸の歴史を語る上では、吉本興業さんの話を外すことはできないのは確かです。しかし、わたしたちが描きたかったのは、あくまでも「家族」や「仲間」といった部分でした。
もちろん吉本興業さんの歴史を知っている人からすると興味深い点も多いと思います。先日も地元の方から「あのエピソードをようこっちに持ってきましたな。面白く作り替えましたな」と言っていただいた。大きく言えば、日本の演芸史をどう再構成し、それをドラマにどう生かしていくかに尽力しました。
――吉田さんはこの話が来た時はどのように思ったのでしょうか。
吉田:面白いなと思いました。ただ、この題材を、東京で生まれ育った私が書くということに不安を覚えたのも事実です。けれど後藤さんから、朝ドラというのは、あくまでも「全国の方に見ていただくもの」と言われて。
後藤さんは大阪出身ですし、本木一博監督は落語好き。そうした部分と、わたしが持つ、夫婦愛や家族愛、友情を描く感覚をミックスさせたドラマを作りたいと。人間ドラマを軸に、大阪の笑いの歴史や文化を描いてきたつもりです。
朝ドラは家族をしっかり描くことが大切
――朝ドラで大切なことは?
吉田:家族をしっかり描くということだと思います。このドラマで描いてきたのは、主人公らの家族だけではなく、芸人さん達を含めた「北村笑店」という大きな家族です。それによって、役者、スタッフが、ドラマの進行と共に、家族のように強い絆で結ばれていったように思います。登場人物全員を家族として描くことで、チーム「わろてんか」一丸となって、愛のある作品作りができたのだと思います。
――「わろてんか」の企画が決まってからリサーチはどれぐらいされたのですか。
吉田:リサーチは相当やりましたね。最初に届いた資料だけでも相当な量でしたから。自分で集めたものも含め、まずはそれを読んでいった。ただ、それらの資料は昭和の頃に書かれたものが多く、資料によっては少々誇張されて描かれているものもありました。その辺りは時代考証の先生方に精査してもらい、バランスをとりながら進めていきました。
――その資料の中には芸人さんの資料も数多くあったのではないでしょうか。
吉田:横山エンタツさんや桂春団治さんなど、いろいろな芸人さんの資料を参考にさせて頂きました。また、お笑いだけではなく、エンターテインメント業界全体を描きたかったので、映画会社の東宝さん、松竹さんなどの資料も読みあさりました。
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