「都こんぶ」、ロングヒットの知られざる歴史 健康ブームに乗った中野物産4代目の手腕

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開発陣が苦心の末辿り着いたのが、「浸透しないのなら、まぶしてみよか」の発想でした。1976年、アミノ酸系の甘味成分を見つけ出し、昆布にまぶすことにしたのです。幸い、昆布には旨味成分が結晶化したマンニットと呼ばれる成分が付着しており、既にして粉を吹いたような感じになっています。

そこに、新発見の甘味成分を“魔法の粉”としてまぶしても、見た目はほとんど変わりません。ただコストは以前より嵩(かさ)み、正一社長は不満だったとか。しかし、消費者も「都こんぶ」の復活を待ち望んでいました。売り上げは往時を上回る勢いとなったのです(1985年13億円)。

4代目社長、後継ぎの顛末

創業社長正一氏の後は、息子の正博氏が2代目としてさらに事業を発展させました。

「小さい頃は工場に入ってつまみ食いをしては怒られていました。父は作り手でもありましたから、昆布の香りに包まれて帰宅します。あの香りは私にとって父の匂いでもあります」と盛正社長。そんな盛正氏も大学を卒業する時期になります。

「父にこう言われました。“10年間好きにしろ。10年経った時、お前が戻りたい、継ぎたいと思える会社にしておく”」。そう言われた盛正氏は、商社入社の手続きを始めました。しかしそのタイミングで、父親が急死。どうしようかと迷った盛正氏に、母親の良子さんは「お父さんがそんな約束をしたのなら、10年はやりたい仕事をやりなさい」と声をかけてくれました。その後押しがあって商社に入社し、7年間みっちり働きました。

そして1991年、30歳になった時点で商社を辞めて中野物産に入社します。当初10年の約束でしたが、母にいつまでも負担をかけるわけにもいかず、30歳の節目に思い切って退職しました。

不在の7年間は母親の中野良子氏(現会長)が会社を経営していました。売り上げも18億円まで伸ばし、従業員も85人から115人に増やしていました。父親の遺志を継いだ母親の良子氏が、“後を継ぎたい会社”に育ててくれていたのです。

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