「都こんぶ」、ロングヒットの知られざる歴史 健康ブームに乗った中野物産4代目の手腕

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終戦後、戦地から帰還した正一氏は、販路を子供から大人に広げたいと考えました。「人の集まるところに行かなあかん」と、映画館や演芸場で販売したところ売り上げは上々。手応えを感じた正一氏が次に目を付けたのが、鉄道の駅でした。

赤い小箱の基本形はずっと変わっていない(写真:中野物産)

「駅には必ず鉄道弘済会の売店(現キヨスク)がある。小さな『都こんぶ』ならそこに置いてもらえるはずや」。そう考えた正一氏は、大きさを手のひらサイズにし、ポケットやハンドバッグに入れて持ち運べるようなパッケージを考案しました。

1953年東京営業所を開設、本格的に全国各駅での販売が始まります。赤地に桜の花びら、中に正一氏の想いのこもった「都」の一文字。縦型の小さな箱は、赤地に白色の花びらによって、売店でもよく目立ちました。

「このパッケージにして60年、基本形は変えていません。時代と共に横置きにする意見が出たこともありました。でもそれは、阪神タイガースの縦縞を横縞にするぐらいあかんと言われましたね(笑)」と中野社長。昔ながらの形にこだわり、まさに定番商品として全国に普及しました。

チクロ禁止で倒産の危機に

消費者が支持した理由のひとつに、「都こんぶ」の品質の高さが挙げられます。原料に使うのは、函館周辺の沿岸で採れる真昆布のみ。安定供給を目指し、地元の業者を説得して昆布の養殖も始めました。かくして強力なライバルもなく、原料の安定供給と相まって、売り上げも順調に伸びていきました。

しかし、そこに思わぬ落とし穴が待ち受けていました。甘味料として使用していたチクロ(サイクラミン酸ナトリウム)の発がん性が指摘され、1969年食品添加物の指定が取り消されたのです。砂糖は昆布の中に浸透しないので使えません。チクロはじんわりと昆布に浸透しその酸っぱさに見合う理想的な甘味料でしたが、それが全面禁止になったのです。

この影響で11億円あった売り上げは、チクロ禁止後5年間で4億円にまで落ち込みました。一方で、昆布に浸透する代替の甘味料はなかなか見つかりません。まさに、倒産の危機でした。

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