デッキと客室を隔てる自動ドアが開き、江田一郎が入ってきた。手にビニール袋を提げている。プラットホームのキオスクで弁当を買ったのだろう。一郎は二郎とアザミを見つけて「よう」と陽気に声をかけた。そして二郎の隣に座り、さっそくビニール袋から弁当とお茶を取り出した。
「兄さん、ずいぶんと身軽だね。SPはもうつけないのかもしれないけど、1人で電車に乗ってくるとは思わなかった。そのうえ荷物が弁当とお茶だけとはね」
「総理も辞めてしまえばただの人さ。午前中で講演会が終わって秘書と車は都心に帰らせた」
一郎は前内閣総理大臣である。1年前に総理を辞し、政界をも退いた。もとは大蔵官僚で、30代で政界に転じ、50歳になってすぐに総理に上り詰めた。任期5年目に政変がありいったん退任したが、5年後に返り咲き、その後5年間総理を務めた。
怒りの矛先を一身に受けた総理
「でも兄さんはただの総理ではなかったのだからね。危険はないのかい」
「ただの総理ではないっていうのは、あれのことか」
と、一郎は人さし指を立てて天をさした。小惑星のことだ。小惑星衝突の発表を聞いた国民は怒りの矛先をその発表を行った一郎に向けた。一郎が総理在任中に暴漢に襲われそうになったのは一度や二度ではない。
二郎がこくりとうなずくと、一郎は
「まあ、おれが小惑星を地球に呼んだわけではないしな。発表から5年が経ってみなが冷静になった」
「一郎おじさん。訊きたいことがあるのだけど」
と、アザミが言った。一郎は体を乗り出してアザミの頭のうえに手を置いて、
「なんだい。なんでも訊いていいよ。国の秘密でもなんでも教えてあげる」
「国の秘密じゃなくて、おじさんの秘密」
「おれの秘密?」
と一郎は小さく首を傾げた。
「おじいちゃんからのお手紙。なんて書いてあったの」
一郎は首を傾げたままで二郎を見て補足を求めた。
「アザミがぼくらファミリーのことに興味をもったらしくてね。さっきまでお父さんのことを話していた。お父さんが死ぬところまで話して、お父さんからの手紙に触れた。手紙の内容については本人から聞くことにしよう、順序立ててまずは兄さんから聞こう、とアザミに言ったんだ」
アザミが継いで、
「二郎おじさんは、一郎おじさんがもらった手紙に何が書かれていたか知らないんだって」
一郎は傾げていた首を戻し、
「そう。みんなほかの兄弟がもらった手紙の内容を知らない。ただ、みんな手紙に従っていままでの人生を生きてきたようだから、察しはつく。なかでも一郎おじさんの内容はみえみえだろうな」
二郎は一郎に向かい「当然」という言葉を笑顔で示した。
「一般消費税のことは二郎おじさんから聞いたね」
アザミがうなずく。車窓から見えていた街並みは終わり、列車は山間に入っていった。線路に沿って流れる渓流は雪解け水で水量を増し白波を立てている。
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