翌朝。湖と、その湖岸にこぢんまりと集まる街並みを眼下に見下ろす山腹に建立された寺の、広大な境内の一角に建つ墓の前で4人が手を合わせている。
都心ではとうに桜は終わっているが、ここではちょうどいまが満開で、まだ冷ややかさのある風に乗って花びらが舞っている。
一郎と二郎、三奈は目をつむり、父が手紙で与えた使命を心のなかで唱え、それを果たしたことを報告している。アザミは片目を空けて3人の様子をのぞいてみた。が、3人は手を合わせた姿勢のままでじっと動かない。
アザミが腕に疲れを感じ、こっそり手を合わすのをやめたとき、本堂のほうから「おーい」と声が聞こえた。
「あ、四郎おじさんだ」
アザミが言うと、三奈が振り返り、
「よかった。間に合ったわね」
「今朝早くに家を出て車で来た」
二郎がアザミの肩に手を置いて、言った。
「四郎。待ってたよ。とくにアザミがね」
「アザミが?」
「アザミは昨日から僕らファミリーのことを研究しているんだ。四郎の話も聞きたいそうだ」
「ファミリーのこと?」
「お父さんからもらった手紙のことさ。それぞれがもらった手紙に何が書かれていて、どう実現してきたか」
「もう兄さんたちの話は終わったのかい」
「ああ、おまえの話で完結する」
四郎は腰をかがめてアザミの目線に合わせ、
「そういうことならお話ししよう。今日はこっちに泊まるから、今晩ゆっくり話してあげる」
1人手を合わせて墓に向かっていた一郎が、目をつむったままで言った。
「お父さん。四郎が来ました。おれは東京に帰らなくてはならないので今晩では四郎の話を聞けません。おれも聞きたいので、四郎のお父さんへの報告をおれにも聞かせてください」
二郎が四郎の背を押して墓の前に立たせた。
四郎は目をつむり手を合わせ、こう語り始めた。
四郎の言葉
「お父さん。お父さんが死んだときのことを、小さかった僕はよく覚えていません。いただいた手紙の内容は一郎兄さんに読んでもらいましたが、何のことかまったくわかりませんでした。
字が読めるようになったあとに自分で読んでみましたが、やっぱりわかりません。わけのわからないことを遺言するなんてひどいと思いました。兄弟のもらった手紙の内容は知らないけれども、一郎兄さんや二郎兄さん宛てに何が書かれていたかは明らかです。
姉さんへは何と書かれていたかわかりませんが、お父さんが姉さんにやらせたかったことが何であったかはわかります。しかし僕のは、ひどいじゃないですか、ただ『ぜつぼうが ぱらだいむしふとを うむ』って。一郎兄さんに読んでもらったとき、僕は『パラダイムシフト』はむろんのこと『絶望』の意味さえ知りませんでした。字が読めるようになってから自分でも読んでみましたが、やっぱりわかるはずがありません。僕はすぐにお父さんの手紙のことを忘れました。
でも、手紙のことは忘れても、お父さんは僕の心のなかにずっといてくれました。お父さんは亡くなる前の冬に僕を連れて田舎に帰り、車で山に登って空を見せてくれました。そして宇宙のことを話してくれました。宇宙はビッグ・バンによって生まれたこと、宇宙にはいくつもの銀河があること、太陽は天の川銀河の中心から離れたところにあること、太陽ができたあとのガスや塵(ちり)が集まり惑星が生まれたこと、地球には過去に何度か巨大隕石が衝突し、6500万年前の衝突ではそのせいで恐竜が絶滅したことなどを教えてもらいました。
そのときから僕は天体に興味を持ち、天文学者になりました。あるとき、総理大臣になっていた一郎兄さんが訪ねて来ました。そして言ったのです、『おまえの出番だぞ』と。僕にはなんのことかわかりません。お父さんの手紙のことをすっかり忘れていたのですから。兄さんは何十年ぶりかにお父さんの手紙の内容を聞かせてくれました。そう、『ぜつぼうが ぱらだいむしふとを うむ』です。
まもなく僕は天下の大発見を公表しました。小惑星が地球に衝突する、と。すぐに世界じゅうから僕の発表を疑問視する声が上がりました。しかし兄さんが僕の発表にお墨付きをくれたことで、みなが僕の発表を信じるようになりました。その結果、人々は絶望し、どうせ死ぬのだからと生産をしようとしなくなり、貯蓄は取り崩し、先を競って消費をするようになりました。地球の資源の取り合いです。
やがて、誰も生産しないのでは人類は小惑星が衝突する20年を待たずに滅んでしまう、といわれるようになりました。兄さんたちはそのときを待っていたのです。所得に税金をかけることは何かを生産したりして社会に貢献した人に罰を課すようなものだ、支出に税金をかけて社会から持ち出した人のほうに負担を求めなくてはならない、と言って、所得税廃止と支出税導入という大税制改正を打ち出したのです。税制のパラダイムシフトです。国民はみなその考え方に納得し、支出税法案が成立しました。そうしてお父さんの夢が実現したのです」
アザミが高い声で言った。
「えっ、えっ、えっ。じゃあ小惑星が地球にぶつかるって話は?」
四郎が振り返り、言った。
「一郎おじさんはずるいんだ。すぱっと総理大臣を辞めちゃって。四郎おじさんはもうすぐ太陽系でいちばんの大嘘つきって呼ばれることになる」
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