「みんないっしょ」の日本、「お互いに違う」が前提の欧米
なぜ日米でこのような認識のズレが生じるのだろうか。それを解くカギは、日本社会と欧米社会の意思決定方法の違いにある。
日本では、お互いに腹を探り合い、全体の「空気」を醸成しながら合意形成を図っていく。「みんないっしょ」を目指すと、自然とこのようなスタイルになる。これが、「お互いに違う」ことが前提の欧米人にはなかなか理解できない。
欧米人は、ある意見(正)に対して、別の意見(反)を出し、ロジックに基づいて議論し、新しい落としどころ(合)を見出す。この「正反合」の弁証法的方法で意思決定をしていくのが欧米流だ。逆に言えば、最初から意見が同じときは議論をする必要がない。違うからこそ、お互いに納得できるロジックが必要なのだ。
グローバルで行われる会議で活発に意見交換が行われるのも、「正反合」の意思決定スタイルが標準になっているからだ。
そのため、会議の場で発言しない人は、「正反合のプロセスを通じて新しい価値を創造する意欲がない」人であり、「ロジカルに考えられない頭の弱い」人であるというレッテルを貼られてしまう。英語の得意不得意に関係なく、会議で発言しない多くの日本人は、このように思われているのが現実だ。
このような「正反合」の意思決定スタイルは、とかく「みんなといっしょ」を目指しがちな日本人にはなかなかなじめない。上司の意見と違う意見を述べれば角が立つし、議論を戦わせると感情的なしこりが残るという不安がぬぐえないからだ。しかし、お互いに違うことが前提のグローバル社会では、違いを表明することは、何ら恥じる必要はない。むしろ、違いがわかって初めて議論が成立するのである。
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