デキる上司は決めるべきところを決めている つねに人格者である必要はない

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このような社長を、どう思われるでしょうか。なるほど、そうだと思われる読者はあまり多くないのではないでしょうか。日曜日や休日にゴルフに出掛けると、いい家庭ができないなら、平日に出掛けるならば、いい会社ができないということになるのではないでしょうか。そういう社長を、社員の人たちは、よしとするでしょうか。

「いい社長だ。尊敬できる社長だ。ビジネスマンとして目標にすべき社長だ」と思うでしょうか。「社長としての役割」を果たしている「社長は社長らしく」「指導者は指導者らしく」考え、振る舞っていると思うでしょうか。冒頭に『論語』の言葉を引用しましたが、「君、君たり」「臣、臣たり」が、すなわち、「社長、社長たり、指導者、指導者たり」が、会社発展の条件の1つだとすれば、この社長、もうハナから社長たりえないと思います。

では、「社長、社長たり」「指導者、指導者たり」ということ、「社長は社長らしく」「指導者は指導者らしく」は、どうすれば、「たり」となるのか。「らしく」なるのか。まさに「指導者の役割」を果たす条件とはなにかということになります。これにもいろいろな条件が考えられますが、私の経験から具体的に1つ、2つ挙げるならば、1つは「ケジメをつけること」ではないかと思います。

時間のケジメ、公私のケジメなどは、すでに書き記しましたが、さらに、3つ目として「部下に対するケジメ」を付け加えておきたいと思います。

「部下に対するケジメ」とは?

たとえば、同じ好ましくないことをしても、A君はとがめ叱責するけれども、B君はとがめない。C君が遅刻しても怒らないけれど、D君が遅刻すると激怒する。あるいは同じ結果を出しても、あるときは褒めて、あるときは不足していると怒鳴る。この上司はいったいなにを基準にしているのか、上司として不適格ではないか。このように部下が思うのは当たり前でしょう。そのような部下に対するケジメをつけられない上司は、いつか足元をすくわれる覚悟をしておくべきでしょう。

もう1つ、付け加えます。会社のトップである社長が社長らしくあらねばならない条件は、「責任を取ること」ということです。

「会社すべて、会社丸ごとの責任を取る」。この覚悟がなければ社長たりえません。いや、究極、「社長という役割は、会社のあらゆる責任を取る役割」といってもいいのではないかと思います。よく「これは、一般社員の、社長としてあずかり知らぬことで、それは彼の責任で……」と言う社長がいますが、それは日頃からしっかりと啓蒙、教育を徹底していなかった、あるいはその指示を徹底していなかった社長の責任でしょう。

あるいは、歴代の経理担当責任者が、6年間も不正会計をしていたとすれば、社長が指示した、しない以前の問題として、社長が責任を取るのは当たり前のことです。さらには、巨額の赤字を2年、3年と出し続けても、居座り続け、責任を取って退任もしない。大企業でも中小企業でも、よく見受けられる風景です。

もし、上司が「それは私の責任でない」と言えば、部下もまた、「それは私の責任ではない」と言うでしょう。上司が「責任を取ること」をせず、言い訳に終始する会社には、成長発展する可能性は絶無です。上司たる人は、つねに「ケジメをつけること」「責任を取ること」を、よくよく心掛け、経営に取り組んでいくことが大事だと思います。

江口 克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問

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えぐち かつひこ / Katsuhiko Eguchi

1940年名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒。政治学士、経済博士(中央大学)。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器産業株式会社理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長など歴任。著書多数。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。

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