グールドにとっての音楽活動の価値は、聴衆の前で行うライブではなく、録音の中にこそあったのだろう。
なじみのスタジオにこもって心ゆくまで録音を繰り返し、そのテイクの中から気に入ったものを選んでつなぎ合わせ、理想の作品を作り上げること。それがグールドにとっての至福の時だったとしたら、その作業の過程を共有したいと願うのがファン心理だ。そこに今回の『コンプレート・レコーディング・セッションズ1955』の意味と価値が感じられる。
早速今回初めて世に出た録音の数々をチェックすると、冒頭を飾る有名なアリアのテイクは6回を数える。ディレクターとの言葉のやり取りをはさみつつ、何度も繰り返される演奏の中に込められたグールドの思いやいかに。そんなことを考えながら音楽に反映される微妙な変化を聴き取るのは聴き手であるファンにとっての至福の瞬間だ。アリアと30の変奏曲それぞれに、多いもので20近く、少ないものでも3つほどのテイクが記録されている。
最終的にどのテイクがアルバムに使われたのかをチェックできるあたりがさらにオタク心を刺激する。さらには、完全無欠のテクニシャン、グールドでもミスタッチを犯すことを確認できるのも興味深い。
クラシック史上屈指の変人
グールドを語るうえで欠かせないのが、奇人とでも言えそうな存在感だ。その特徴は、ピアノを聴きながら口ずさむ鼻歌(録音でもはっきり聴こえる)を筆頭に、父親手作りの極端に低い骨組みだけのピアノ椅子。こちらは折りたたみ式で4本の足の長さが調整可能というキワモノだ。
極端な寒がりで、『ゴールドベルク変奏曲』の収録時には、穏やかな6月だったにもかかわらず、コートにベレー帽、マフラーと手袋を着用してスタジオ入り。演奏前には湯を張った洗面器で腕を温めるという儀式を行うのもグールドならでは。休憩時間にはスタッフの食べるサンドイッチを眺めて顔をしかめながら、持参したビスケットとミネラルウォーターを口にしたという様子すらも、今では微笑ましい伝説だ。
それもこれもあのすばらしいパフォーマンスがあったからこそ容認されたことに違いない。
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