次に、このおめでたいハレの日にコロコロと二流に転落するのが、「呼ばれていないのに2次会」にやってくる人たちである。
「呼ばれていない」理由がまったくわかっていない
披露宴は、親族や会社の平均年齢高めのオジサン軍団で、日本の高齢化社会の縮図みたいになっていることも少なくない。
結婚式の真の楽しみは、若い男女が集う「一大合コンパーティ」と化している2次会であるケースも少なくない。
しかし、ここで暗く深い二流の谷底に転落しているのが、「2次会に呼ばれていないのに、空気を読まずにそのまま2次会に参加してくるオジサンたち」だ。
結婚式の2次会というと、20~30代前半の適齢期の男女が集う、未来の結婚パートナーを探す、初々しい華やかな場でもあるはずだ。
おまけに、皆若いので気を使わず、友達のようにハメを外してはしゃげるのも、その醍醐味ではなかろうか。
にもかかわらず、自分が「呼ばれていない」ことに立腹し、2次会の開催場所を突き止めては、「いやぁ、たまたま近くに立ち寄ったものだから」などと、執念で2次会参加の意欲を見せるのだから、恐ろしい。
結婚式ではその2次会で、「呼ばれてないのに来ている」ことで、「もう2次会ではしゃぐ年齢は終わったことに気づいていない」という自己認識の浅さが、恥ずかしいまでにバレてしまうのだ。
最後に、残念な人に限って、ついさっきセブン-イレブンで買った安っぽいご祝儀袋に、式場に到着したあとでガサゴソおカネを入れようと奮闘しているものだ。
おまけにそういう人に限って、おカネは財布の中から取り出した、シワだらけで真ん中にセンターラインがきっかり入った「二流のお札」なのだから、もはやかける言葉はない。
そのような、何かとがさつな人は、名前を記帳するときの字も汚い。そして隣の人の記帳スペースにまでサインがはみ出しているのだから、自己アピールが激しいにも程があるのである。
結婚式の受け付け時に渡す「ご祝儀袋」と「その中身」、そして「記帳名の筆跡」を見るだけで、その人の「人間的欠陥」の有無が、残酷なまでにバレてしまうのである。
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