野村克也が語る、「弱者」こそ最後に勝つ理由 「コミュ力」の前に何を身につけるべきなのか
弱者ゆえの謙虚さは、成長するうえでとても大切なことだ。どんな人間にも、長所と短所とがそれぞれある。どんな選手であっても、長所だけ、あるいは短所だけがある、という選手はいない。ただ、謙虚さを忘れていると、自分の長所ばかりを強調するようになってしまう。それでは駄目だ。ただ、逆に欠点ばかりを意識しても成長にはつながらない。要は、バランスが大切ということだ。
自らの欠点を知り、「最低限」直すことが大切なワケ
ただ、よく「長所を伸ばして欠点を補う」などと聞く。だが、これは間違いだ。確かに長所を伸ばして引き出してあげれば、すべてうまくいくことはある。ただ、それはあくまでも結果論だ。いくらいいところがあっても、欠点を直さないと往々にして長所を邪魔してしまう。だから、まずは欠点を直す。最低限、直す。それを第一に考えるべきだ。
長所は意識しなくていいが、短所は意識しなくては修復できない。これが、長所と短所とで違う所だ。そして短所を補うことができれば長所も伸びる。
確かに、世の中にはいわゆる「天才」と呼ばれる「強者」もいる。だが、その者たちも、たゆまぬ努力を経て「強者」になったはずだ。人は皆、弱者である。これが私の持論だ。
この世に初めから、完璧な人間などいない。一流と呼ばれる人間なんて存在しない。はた目には才能だけで成功しているように見えるかもしれないが、「才能」だけで一流になれるほど、どんな「プロフェッショナル」の世界も甘くない。
そして、人は弱者であると同時に、「人は誰しも何かしらの可能性を持っている」というのが私の信じるところだ。野球でわかりやすく言えば、「球が速い」「足が速い」「長打力がある」「守備がうまい」など、何かしらの才能や素質は必ずあるはずだ。それでもすべての選手が大成し成功できるわけではない。
その理由は「弱者の意識を持ち、課題に向き合えなかったこと」に尽きると思う。「弱者の流儀」という思考、行動を学ぶことは、今の時代にこそ必要な人生哲学であり、どんな実社会にも役立つ「生き方」だ。
謙虚な意識を持ち続けることが大切だと述べてきたが、人間は、誰しも他人の評価の中で生きている。その中で、どうしても自己評価は甘くなりがちだから、「こんなに練習をしているのにチャンスがもらえない」「監督やコーチは自分のことをわかってない」などと不満を抱くことになる。
これは、決してプロ野球の世界に限ったことではなく、おそらく会社員などであっても「上司が自分を理解してくれない」「自分のほうが仕事ができるのに、何であいつばっかり評価されるんだ!」などといった不満を持っている人は多いだろう。
だが、肝心なのは自己評価ではなく、他人の評価だ。言ってしまえば、他人の評価がすべてだ。
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