日本ハム、広島を破った最強チームの育成術 強さの秘密は「フロント主導」にある
2016年のプロ野球は、日本シリーズの舞台で、日本ハムが広島を4勝2敗で下して幕を下ろした。
雌雄が決した直後、もっとも印象深かったのは、広島・松田元オーナーがつぶやいた一言だった。
「あれぐらい強いチームを作らな、日本一になれんということよ…」
セリーグを制した広島は、2位巨人を17.5ゲームも突き放し、ぶっちぎりの優勝を決めたが、日本一の頂点には届かなかった。
栗山監督が人心掌握を学んだ名将
それほど「強い」日本ハムを率いる栗山英樹監督が心酔するのが、かつての名将・三原脩氏(1984年2月6日没)である。巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトで監督を歴任し、日本ハムの初代球団社長に就いた人物だ。
6度のリーグ優勝、4度の日本一。1958年、巨人との日本シリーズで3連敗から4連勝の大逆転、1960年には前年最下位の大洋を日本一に導くなど、"三原マジック"は、今でも野球ファンの語り草になっている。
西鉄で「怪童」の異名をとった大打者、後に監督にも就いた中西太氏にとって、三原氏は義父にあたる。栗山監督は三原氏と交わったことはないが、評論家時代から中西氏のもとに通って、三原氏が秘訣を書き記していた伝説の"三原メモ"を借りては野球を学び続ける。
中西氏は「栗山監督の人心掌握術は、三原流の手ほどきを感じさせる」と明かす。「親父は『花は咲きどき、咲かせどき』といった。栗山監督は三原の考えだった『欠点をみる前に長所を生かす』という信念を曲げず、人材を育て上げ、その若手選手が今回の日本シリーズで働いた」。
例えば、2勝2敗で迎えた第5戦の先発はルーキー左腕の加藤貴之だったが、1回に先取点を奪われ、続く2回に満塁のピンチを招くと、すぐにメンドーサへのスイッチを決断した。
メンドーサが得点を与えず、そのまま好投を続けたことが勝機を呼び込み、最後は9回裏に2番西川遥輝がサヨナラ満塁本塁打を放って王手をかけるのだった。
中西氏は「先発に抜てきした左の加藤を、すぐさまメンドーサを投入して流れを変える戦法は、まさに三原マジックだったな」と振り返った。
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