長老が教える、心に「ためこまない」生き方 日々に役立つ、スリランカ仏教の智慧
銀行にいくらたくさん貯金があっても、ケタの多い数字が並ぶ通帳を1人でじっと見ていて楽しいかというと、必ずしもそういうわけではありません。むしろ、その預金を下ろして旅行をしたり、みんなとレストランに行ってご馳走を食べたりしたときのほうが、楽しみを感じるはずです。
努力してためたもののことをありがたく感じるのは、ためたものを使っているときであり、ためたものが役に立つときなのです。
このことによく気づいておいてほしいのです。
心にたまった悪感情は善感情で“解毒”する
もっとも、「ためこみ」には、今紹介したような方法でもうまく解決できないケースもよくあります。それはどういうケースかといえば、「心のためこみ」です。
そもそも「ためこみ」はモノ(物質)の次元にとどまるものではありません。「恋人に振られた」「今日もまた上司に怒られた」……といった具合に、日常のトラブルが引き金となってネガティブ感情が生じ、そうした感情をうまくできずにどんどん募らせていくことがありますが、これはまさに「心のためこみ」と言えるでしょう。
いえ、実を言えば、具体的なトラブルがなくても、怒り、嫉妬、憎しみ、落ち込みといった悪感情は、生きていると自然に、勝手にたまっていくものなのです。これは、家に住んでいると自然とゴミがたまっていってしまうのと同じです。そしてそのまま放っておけば、心は、悪感情というゴミがたまった「ゴミ屋敷」になってしまうのです。
こうした心のレベルでの「ためこみ」にはどんな解決方法があるでしょうか。
仏教が推奨する方法のひとつは、「悪感情に対しては、その反対の善感情で解毒する」というものです。具体的に説明してみましょう。
怒りや落ち込み、傲慢、嫉妬といった悪感情には、それとは正反対の善感情があります。怒りの反対感情はなんでしょう? 仏教では、たいていその悪感情の単語に対して、パーリ語で否定の意味をもつ「ア」をつけて(日本語では「不」や「無」にあたります)、その反対の善感情を表現します。たとえば、怒り・瞋恚(ドーサ)に対しては不瞋(アドーサ)、欲・貪り(ローバ)に対しては不貪(アローバ)といった具合です。
悪感情に対しては、こうした反対の善感情を自分で発見し、それを使って解毒するのです。
悪感情がたまったら、その場その場で解毒剤を発見して、処分していく。それは、悪感情を捨てるというよりは、悪感情を善感情に入れ替えていくと表現したほうが正しいでしょう。
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