「働かないおじさん」だって、心底悩んでいる 中高年が企業に囚われる悲劇

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為末:長時間労働是正の話は、よくニュースで耳にしますね。

中原:過去の歴史をひもとくと、日本でも、これまで何度か、長時間労働是正や生産性改善の議論が起きたことがあります。しかし、労働時間の歴史的推移を研究した知見を参照してみても、日本の労働者の労働時間は、戦後、ほとんど変わっていません。週休2日制度を導入しても、その分、平日の労働時間が増えただけなんです。しかも、その長時間労働に、日本独特のメンタリティである「根性主義」や「努力主義」が刷り込まれている。長時間労働をする人は根性のある人であり、努力した人である。結果はともあれ、そこを評価しよう、という感じですね。通常、生産性の議論では、「いかに努力したのか」という「プロセス」と、その結果である「パフォーマンス」の双方が考慮されるべきなのですが、前者が特に重視されます。

「努力してるけど成果は出ない」が「美談化」される

為末:それはスポーツ業界とまさに同じですね。トレーニングがいまいちでも、パフォーマンスが出る人は、あまり評価されないんです。一方、パフォーマンスがいまいちでも、トレーニングをした人は、どこかで評価される傾向がある。

中原:為末さんの今のお話は、2軸4象限に分けて考えてみるとよいと思うんですよ。縦軸は「努力軸」です。これは、これまでの話でいうと「プロセス」とか「トレーニング」にあたりますね。一方、横軸は「成果軸」です。これは「パフォーマンス」そのものです。今、縦軸と横軸をそれぞれ「する」「しない」「出る」「出ない」に分けて、2軸を直交させると、ここには4つの空間(象限)が現れます。

図で①にくるのは、「努力して成果が出た」ですね。これはまったく問題なく「◎」ですよね。2つ目にわかりやすいのは④の「努力もしてないし、成果も出ない」というやつです。これはまったく問題外なのでド最低(ドサイテイ)の「×」じゃないですか。問題は②の「努力してるけど成果は出ない」と③「努力はしてないが、成果は出てる」なんですよ。ここで日本では、②の「努力してるけど成果は出ない」が「美談化」される傾向があると思うんです。一方、③の「努力は足りてないんだけど、成果は出ちゃってる」のは「価値が矮小化」されやすい。ともすれば、②と③のどちらがいい、と聞かれたら、多くの人は②「努力してるけど、成果はでない」>③「努力は足りてないんだけど、成果は出た」と考えてしまうメンタリティをもっているような気がするのですね。それが行きすぎると、根性主義とか精神主義とか、努力信仰に陥ってしまう気がします。

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