当然ですが、サービス残業や健康被害を招くような長時間労働は許容されるべきではありません。しかし、「努力と根性でカバー」という考え方を、すべて「ブラックだ」と切り捨てる風潮もまた、現実を直視できていないように思います。たとえば、高校野球で昼夜を問わずに練習する風景は一般に感動的な話として語られることが多いでしょう(そういったことを美談扱いする高校野球自体の賛否も議論があるところですが)。これが仕事となると、突如として真逆の価値観になるところに問題の根源があると思います。
会社に従属して働かされている、かわいそうな労働者?
もちろん、長時間労働による健康被害は厳に防止すべきです。そのことに異論はありません。一方で、スキルを得るために失われる練習量をどうカバーするのか、という議論もきちんと行うべきだと考えています。スキルが得られなければ、最終的に追い詰められてしまうのは労働者自身なのですから。その意味では、労働時間規制議論の前提として、会社に従属して働かされている「かわいそうな労働者」像があるような気がしますが、その前提自体が前近代的であり、本当に正しいのだろうかという疑問があります。
このようなご指摘は、研究職では顕著でしょう。労働時間規制というと残業時間ばかりに目が行きがちですが、スキルアップやイノベーションのための試行錯誤の時間をどのように捻出するか、会社でできないのであれば自らの選択でそのような機会を設ける時間と費用をどうするかという議論もセットで行われる必要があります。これまで、日本企業は終身雇用を前提に、定年までのキャリアレールを敷いてきました。労働者としてもこれに従っていればよいという側面もあったのです。
しかし、企業にも余裕がなくなり、労働時間規制も行われると、自分のキャリアは自分でつくるという発想が必要になります。そのため、自らキャリアアップしたい方は、自分で、おカネと時間を出して研鑽(けんさん)するということが必要になってくる傾向が強まるでしょう。このキャリアアップに対して、企業がどのように支援するかという点もポイントになります。
さらに、長時間労働の問題は、残業代をきちんと払えば解決する、といったご意見もありました。長時間労働について、単におカネの問題ととらえるとそうなるでしょう。
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