これが適用される例がそれほど拡大するとは思えませんが、すべての労働者の残業代が単純に時間給でいいのかという問題は、ホワイトカラー労働者が増えている以上、当然生じるでしょう。現時点の法律は工場労働者を前提とした時給制の残業代となっていますが、今後は会社とともに、労働者の意識も変わる必要があると思います。
サービス残業を強要することは、あってはならない
そして、少なからずあったのが、残業代も支払われないサービス残業を強いられている方の声です。
そのような会社は本来淘汰されるべきかと思います。しかし、これも現実によくある話です。日本の労働法は、正直言ってダブルスタンダードになっていると思います。大企業と中小零細ではコンプライアンスの実態に相当程度差があります。日本はまだまだ弁護士や裁判のハードルが高いのでこのような現実があっても訴える人は少ないのが現状でしょう。
しかし、労働法をちゃんと守っている企業が損をすることはあってはなりません。どのような法律を設計するかも大事ですが、法律をどのように遵守させる(取り締まる)のかという議論も大事ですね。
残業代も出ないサービス残業を強要することは、あってはならないことです。さらに、たとえ残業代が出ても、精神や健康を害するものは、当然認められません。しかし、働くこと自体を「単なる苦役」ととらえ、とにかく労働時間規制だけをすることもナンセンスでしょう。真の意味で成長を求め、将来にわたって社会の中で自分の価値を出して貢献することにより、自己実現していきたいという人の機会を奪うことはあってはなりません。ただ、それが真に自分の意思で納得して行われていることが、とても重要になります。
労働者のスタイルも、規制の中で守られながら「ワークライフバランス」を優先し、定時の仕事にこだわる方と、働くこと自体を生きることととらえ、主体性をより追求していく方と、二分化するかもしれませんし、この二分化自体が本当に正しいのかという見方もあります。
つまり、本当にワークライフバランスを追求したいのであれば、企業に対して交渉力を有する程のプロフェッショナルになる必要があるという点です。そうすると、一定期間はがむしゃらに働くことが必要ではないか?という根本的疑問があります。
「働く」ということは個人の価値観が大いに反映されるものです。働き方改革とは、その前提にある、個人の「生き方」を尊重するということだと筆者は考えています。企業だけでなく、すべての働く人が、「働く」ことの意味を改めて考えるきっかけになれば、「この記事を書いてよかった」と思います。
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