このコメントは、おっしゃるとおりだと思います。個人の労働時間を減らすのであれば、業務を減らすか人を増やす、または業務自体を効率化するしか方法はありません。しかし、業務量と人員の問題にはまったく手をつけずに、生産性だけを見直すことには限界があることは否定できないでしょう。昨今の少子化による労働力不足で、人手を増やすという解決策をとることは、今後ますます困難になっていきます。これに対して、既存の社員に残業代も出ないサービス残業を押しつけて対応するのは最悪手であり、論外です。
やはり労働時間を制限する形で「働き方改革」を実現するなら、人を増やすか、仕事(売り上げ・サービスの質)を減らすかという選択が迫られると思います。そうでない企業は淘汰されてもやむをえないでしょう。「働き方改革」の本質は、今後の労働市場を踏まえて、どのような方向性を目指すのかということを会社として決定することだと思います。そのため、各社各様の答えがあって当然だと考えます。
次は、労働時間規制を、どのような人にも一律に当てはめることを疑問視するコメントを紹介します。
自らの意思なのかどうかの見分けは難しい
自らの意思に反して長時間労働を強要されている(あるいは、渋々やっている)方々については、労働時間規制の議論は当てはまると思います。しかし、職人や研究者、専門職(われわれ弁護士もその一種です)など、自発的労働をしている方にとっては、形式的に規制を当てはめること自体がどうなのか、と言いたい人もいるでしょう。
ポイントは、自らの意思なのか、渋々、あるいは強要されているのかという点を、どのように峻別するのかというところでしょうか。たとえば、本当に自分の興味・関心・向上心などから自発的・自律的に研究している人と、会社から圧力を受け、表面的には自主的に研究をしているが内心は渋々やっている人を見分けるのは、個人の主観の問題となるので実際上難しいという側面があります。
筆者個人の話になりますが、弁護士になるための司法試験の勉強は、周りと比べても要領が悪いほうでした。しかし、「量だけは誰よりもやろう」と日々勉強し、どこかのタイミングで「量が質に転化した」という実感がありました。その結果、無事に早期に合格することができました。仕事でも、同じような体験をされた方はいないでしょうか?
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