7000通りの仕様がつくれる国産腕時計の秘密

月産1万台でも追いつかない「Knot」の正体

――Knotのこだわり、品質への評価は日本だけでなく、海外からも。

遠藤弘満(えんどう・ひろみつ) 株式会社Knot代表取締役社長 1974年、東京都生まれ。通販商品のバイヤーとして世界各地を巡り、数々のヒット商品を世に送り出す。米軍特殊部隊用腕時計である「LUMINOX」や北欧ブランド時計「SKAGEN」などを日本に持ち込み、ブームの立役者となる。2011年にはファッション分野で日本人初となる「デンマーク輸出協会賞」「ヘンリック王配殿下名誉勲章」を受勲。2014年、「買い手から作り手」へみずからの立ち位置をシフトさせ、長年の腕時計業界への愛情と情熱を注いだ、国産腕時計ブランド「Knot」を設立。現在、腕時計を核に、日本の技術力と品質を世界と結んでいる。公式Webサイト【Knot】

遠藤氏:デザインと品質に優れた、日本製の腕時計を世界中の人に愛用してもらいたいという想いから始まったのが、私たちKnotの取り組みです。おかげさまで、Knotの販売店舗のある吉祥寺にも、さまざまな国からお客さまが来てくださいます。当初クラウドファンディングで少数限定販売からスタートした私たちの事業は、開始直後からの逆風に何度もさらされながらも、お客さまと全国の製造業に関わる方々のご支援のおかげで、なんとかここまで漕ぎ着けました。現在は、月産1万台の体制を確保していますが、おかげさまでそれでも追いつかない状況です。

2014年3月の設立から今年で、ようやく3年。事業立ち上げ前の1年間から現在まで、常に、ひとつ問題をクリアすれば、また新しい問題にぶつかることの繰り返しでした。社長である私も、イチ営業マンとして、全国各地の工場やお取引先を走り回っては、新規に参入した私たちの腕時計づくりへの想いを説明し、協力していただけるパートナーを探すことで精一杯の毎日。生産体制の確保もままならず、そのたびにまわりに助けられました。そうした状況で私を支えてくれたのは、仕事に対して根本的にあった「面白さ」と、長年、腕時計業界に携わる中で培った装飾文化への愛情。このふたつが、私を新たな腕時計づくりへと動かし続けてくれました。

遠藤流ムーブメントの原点

遠藤氏:仕事に対して最初に「面白さ」を覚えたのは、高校生のころでした。周りの友人で高校に進んだのは私含め数名。友人たちは皆、中学卒業と同時に働き、早くから給料を得て自立していました。そんな友人たちの働く姿を見て、私も早く自立したいと、「働く」ことに対して、憧れにも似た感情を抱いていたんです。18歳になるとすぐに自動車の免許を取って始めたのが、フルタイムでカメラのフィルム集荷をするアルバイト。アルバイトといっても、25万円くらいとなかなか高額な給料をいただいていました。「これで名実共に自立できる」と、とにかく働いて大人の仲間入りができることが嬉しくて頑張っていましたね。このころはまだお金が大きな動機でした。

次に働いたのは、叔父が経営する通信販売会社。規模も小さくなかったのですが、厳しい上司のもと、仕事のイロハを徹底的に教わりました。そこでバイヤーとして働いたことが、私のその後を決定付けたように思います。

「通販の商品は写真とキャッチコピーが命、売り上げの8割はそれで決まる」と言われていましたが、自分でキャッチコピーも書き、カタログ雑誌の編集も手がけた経験は、その後の仕事にも繋がる大変有益なものでした。今もそうですが、商品を売るときは常にストーリー、魅せ方を考えていますし、このころに培った通販的手法が原点になっています。恐竜の卵の化石など、ユニークな商品を扱う通信販売会社でしたが、自分の目利きで取り上げた商品が売り上げを伸ばした時など、物を売ることの楽しさも覚えました。

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