一方、夫の立場としても、自分の実家との普通の交流も嫌がる妻に、自分たちが軽んじられているとか、自分への愛情がないからだとか、親戚みんなとうまくやってくれる妻しか愛情をもてないなどと、不満いっぱいです。これは複雑に考えないことです。“無理に水を飲ませよう”としないことです。親戚のよさを知らず、情けもまだ湧いていません。
さて、ここにきて私が、義理の親や親戚付き合いは無駄が多いと考えている人間だと誤解されないか心配です。
実は私は、親戚大好き人間です。わが子どもたちが親戚から、「親戚大好き人間に育ったね」と言われ、自身もそうだと気づいたことです。私にとって親戚は、とても心強い存在です。親しくとも近くにいる他人には頼めないことも、遠くにいる親戚なら、その理由だけで頼めることは多いものです。
親戚付き合いを押し付けてはいけない
助け合い、お互いに頼もしい存在が多いほど、ありがたみや信頼感が増します。困難に直面しても心強く、恩や期待を裏切りたくないというモチベーションにもなります。このようにいえば、損得勘定で親戚をとらえているように聞こえますが、決してそうではありません。
人間は社会的な生き物なのに、親戚というだけで敬遠する人は、他人とも良好な関係をもつのは難しいと考えています。私は姑と同居し、夫の親戚とも親等の距離にかかわらず、心が通じる人とはどんどん付き合いました。喜び合う人が多いほど幸福は大きく多くなり、悲しみは支え合い、助け合うことで慰み励みになります。
義理関係でも、すてきな家族になっている事例も数多いのです。お互いの立場を尊重し、思いやりつつ、できないことは明確に線引きしておくだけで、小さな行き違いは随分避けられると思っています。
しかし、ここで大切なのは、「自分が家族や親戚付き合いを大切にしているからと言って、それを伴侶に押し付けない」ということです。
「伴侶の意思を尊重すること」を「時代錯誤の姑の封建思想」に優先させることが、実家の過干渉による家庭崩壊を免れるために大切な基本方針なのです。
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