これまで私は、この連載の中で医師に必要な能力・資質として「公共性」「公共心」が大切であるとたびたび述べてきました。その理由は感覚的なものからではなく根拠があります。医師の規範ともいうべき「医の倫理綱領」(日本医師会)という重要な規則にもこのキーワードが触れられているからです。
公共性に関する部分を抜粋すると「医療を受ける人びとの人格を尊重し、やさしい心で接する」「医療の公共性を重んじ、医療を通じて社会の発展に尽くす」という部分がそれに該当すると思われます。
実際の医学部入試でも、この資質を問う出題がなされています。代表的なところでは、2010年の岡山大学医学部の小論文試験で、「若手の小児科医が公共の場でドクターコールに応じるべきかについて、意見論述する」ことが求められているし、東京医科大学の2次試験の面接でも「電車内で化粧をする人についてどう思うか」が問われ、2017年1月の順天堂大学医学部一般入試の小論文でも「戦場で子猫にミルクを飲ませる兵士の写真を見て、子猫の立場から考えを述べる」というユニークな出題がありました。こうした出題の背景には、ひとつに公共性の視点があるのです。
医者には「頭がいい」以前に大切な資質がある
現在、医学部入学試験を突破するのは、さらにたいへんな難関になりつつあります。今年の入試も、おおむね倍率は上昇傾向にあります。つまり、医学部に進むために、優れた知力と学力が必要であることは間違いありません。
しかし、私は最近になって、はたして学力ありきでいいのだろうか、と考えるようになりました。医師を目指す人にはもっと重要な資質、前提として「公共的性格」、つまり「公共心」「倫理観」「正義の心」のようなものが備わっていることが重要なのではないでしょうか。医師志望の受験生を多く指導し、また実際に医師として活躍する教え子たちを見るなかで、自然にそう感じ、確信しつつあります。とくに高齢患者が増加し、地域に医師が不足する現在の医療状況で、この資質は以前にも増して要求されているように思います。頭がいいだけではなく、できればそうした公共的性格が備わる子どもたちに医学の扉をたたいてほしいと思います。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら