先生の話は、理屈としては、とてもよくわかりました。寒い冬の日、道端に眠る人がいても発見者がそのおじさんを保護する立場になければ罪にはならないというのもうなずけます。でもね、私は、そのおじさんに声をかけて助けてあげなきゃだめだなと思いましたよ。
子どもたちの感想を読みながら、私は生命とは何か、公共性とは何かについて思いをめぐらせていました。これまで学んできた学問の枠組みはこれでよいのだろうかとも考えました。法律のうえでは、所持者(飼い主)がいても犬は「物」にすぎず、価値判断としてそれがどういう価値があるかは経済的な値段の比較で量られるのです。このように、学問は物の軽重を定義します。
しかし、子どもたちの思いはそれを受容していません。子どもたちの考えは純粋に犬の生命の尊さに及んでおり、それは値段などで変わることはないと位置づけているのです。また、自分自身に救助する義務がないケースでも、社会の中に困っている人がいれば、手を差し伸べるべきではないかと考えているのです。
「正義」は人間の本能なのか?
この話と関連して、京都大学などの研究グループが行った、ある興味深い実験をご紹介します。それは赤ちゃんに「攻撃者」「被害者」「正義の味方」「傍観者」という4つのキャラクターが登場する動画を見せ、反応を探るという実験です。赤ちゃんに見せる映像は2種類あり、1つは青色のキャラクター(攻撃者)が黄色のキャラクター(被害者)を追いかけ攻撃し、追いつめるシーンで構成されています。
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