日比谷高校が東大合格者を53人出せた理由 公立のエリート養成校は、どう復活したのか
東京大学の合格者数53人――。今年の大学入試結果は教育関係者に衝撃を与えた。この数字をたたき出したのは東京都立日比谷高校だ。開成高校、筑波大附属駒場高校、灘高校、麻布高校といった6年制の中高一貫校がトップ10を占める中、3年制の公立高校が11位に入った。公立高校が50人以上の合格者を出したのは、1995年の県立千葉高校(55人)、県立浦和高校(50人)以来、21年ぶりの快挙だ。
日比谷で9月18、19日に行われた学園祭「星陵祭」。1~3年生のすべてのクラスが演劇を行うのが伝統になっている。雨がちらつく中でも、午前中に観劇のための整理券がなくなるクラスが続出する盛況ぶりで、校舎内は保護者や中学生などであふれた。例年通り4000人近い人が訪れたのだろう。
センター試験まで4カ月なのに学祭に没頭
3年生の演劇ともなればプロ顔負けだ。朗々と響く歌声や、キレのあるダンスからは、これまでの練習の積み重ねを垣間見る。最終公演の終幕は、3年生は名残惜しさから涙ながらに演じており、まさに青春ドラマを見ているようだ。だが、そう悠長なことも言っていられない。センター試験は4カ月を切っている。
「3年生はこの星陵祭をやりきって、この先にはもう行事はない。受験モードに切り替えて一気にスパートをかける」(日比谷高校の武内彰校長)とは言うものの、ここまで学園祭に没頭していて、大学受験にどうやって間に合わせているのか。
そもそも日比谷は1964年のピーク時には193人の東大合格者を出し、政治家や官僚、学者など日本のエリートたちを数多く輩出した名門校だった。ところが1967年に始まった学区制などの入試改革で凋落し、1993年には1人にまで落ち込んだ。
週刊東洋経済は10月8日発売号で『高校力 公立の逆襲 大学より濃い校風と人脈』を特集。凋落したかつてのエリート養成校、日比谷の復活をはじめ、勢力を拡大する公立名門校の最前線を追った。中高一貫校ブームが一服し、新たな地殻変動が起こっている。
ターニングポイントとなったのは2001年。石原慎太郎都知事(当時)のもとで行われた都立高校改革だった。目玉の一つとしてはじまった「進学指導重点校」に、戸山高校、西高校、八王子東高校とともに認定されたことだ(2003年には青山高校、国立高校、立川高校が追加指定)。
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