自身も豊島岡の卒業生である竹鼻志乃校長は、「運針」を「5分間の禅」と表現する。生徒にとっては毎朝5分間、集中力を高め、心を鍛錬する意味がある。担任にとっては、生徒をじっくり観察する時間でもある。針の動かし方、赤い糸の縫い目を見れば、その生徒のその日の心の状態がわかると言う。実際「イライラしているときは針目が乱雑になります」と言う生徒もいる。心の状態が、赤い糸の縫い目に表れてしまい、ごまかしようがない。
昨日の自分を1ミリでも越えようという意識で
最初からうまく縫える子は少ない。中1の1学期間を経ても上達しない生徒には、家庭科の教員による夏休みの特訓が待っている。最初は5分間で10センチメートルも縫えないということも多い。しかし1年後にはほとんどの生徒が1メートルを縫えるようになり、さらに2メートル、3メートルと伸びていく。
かといってスピードや正確さを競わせることはない。進み方は人それぞれ。まわりとの比較ではなく、昨日より今日、今日より明日と、1日1ミリでもいいから進歩することが大事。「運針」をすることで、豊島岡生は毎朝、昨日の自分を1ミリでも越えようという意識になるのだ。
しかも運針では毎回、最後には糸を抜き去ってしまう。どんなに頑張っても形が残らない。「それが大事」とある教員は力説する。形を残すことは目的ではない。生徒たちは「大切なものは自分の中にしか残らない」というメッセージを受け取って卒業していくのだ。
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