豊島岡の生徒は1人ひとり、真っ白な布と、真っ赤な糸と、そして裁縫針を机の中に持っている。8時15分のチャイムが鳴ると、赤い糸で白い布の端からまっすぐに、針目をそろえて縫っていく。
先生も黙っている。そしてただ、生徒1人ひとりの針の動かし方をじーっと見ている。
布の長さは約1メートル。そこに赤い縫い目が描かれていく。端から端まで縫い終わると、そのまま赤い糸をすーっと抜き取り、また初めから縫い直す。5分間、無言で、ひたすらそれをくり返す。
手際のいい生徒は、リズミカルに、針よりもむしろ白い布のほうをぱたぱたとあおぐように動かし、あっという間に端から端まで縫い終わる。何度もそれをくり返す。素早く縫っているのに、縫い目は機械で縫ったかのように均等で、まっすぐだ。縫うときの姿勢も目つきもいい。
性格にもよるのだろう。スピードは遅くとも、一針一針確かめるように縫う生徒もいる。それはそれで、美しい縫い目ができあがる。
一方、どうも気が乗らないのか、寝不足なのか、首をかしげながら縫う生徒も中にはいる。縫い目は大きくまばらになる。まっすぐでもない。
素人の私が遠目に見ても、1人ひとりの針の動きがよくわかる。白い布の上に描かれた赤い糸の縫い目には、個性すら感じる。
8時20分のチャイムが鳴ると、学校全体ににぎわいが戻る。静と動のコントラストが印象的だ。
1日1ミリでも、昨日の自分を越えていく
豊島岡の起源は1892年にまでさかのぼる。裁縫学校として始まった。裁縫上手な普通の女性が、近所の女子たちの手に職を付けるために、縫い物を教えたという生い立ちだ。女性の自立のため、裁縫だけではなく、算術や簿記も教え、評判となった。大正時代になると女子への教育熱も高まったため、裁縫よりも普通教育に軸足を置くようになる。
毎朝の「運針」が始まったのは戦後のことである。先先代の二木友吉校長が、幼い頃にやらされた黙想にヒントを得つつ、学校の伝統である裁縫の要素を取り入れたのだ。
ちなみに週1回は「運針」の代わりに「月例テスト」を行う。つまり、「月例テスト」も努力の積み重ねの大切さを学び、基礎基本の大切さを知る機会であるということができる。全生徒が6年間、コツコツと努力を続けた結果が、大学進学実績になって表れているのだ。その意味で、「運針」と「月例テスト」はどちらも豊島岡の教育の柱であり、相乗効果を生み出しているといえる。
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