梅原大吾「勝ち続けるプロゲーマー」が誓う掟 すべてのきっかけと動機は「人」だった
このアルバイトも、自分を変えるための準備のようなもので、それまで、自分はすごく人見知りで、知らない人と話すのがとても苦手だったんです。「このまま一生これじゃいかんだろうと」と、それまで避けてきた接客業をあえて選びました。手と声を震わせながら、とりあえず勢いに任せて、面接の電話をかけて……(笑)。
世界一を目指す一方で、得意なことだけをやっているのは、自分では「甘えてるよな」、と考えていました。人並みの苦労や悩みも生きていくうえで絶対必要だし、経験していたほうがいいと思ってたので。とにかくこれで、自分の中でゲームの道は終了、でした。
――勝負の世界を離れて、次に進んだのは。
「勝負」とは無縁の、介護の仕事でした。親が医療関係だったこともあり、高齢者に馴染みはあったものの、なんとなく選んだ道だったんです。ところが、介護をやると決めた時、自分の進む道に対してはじめて親の喜ぶ顔を見ることができました。
喜んでくれたのは親だけじゃなく、施設に入所されている方々も同じでした。勝負の世界では「勝つ」ための行為が、結果的に誰かを悲しませてしまう可能性がある。だけど、介護の世界は、直接誰かを手助けするのが仕事です。自分の行為が、悲しみではなく、喜びや笑顔を生み出す。そんな、もしかしたら普通の人にとっては当たり前のことに、感動してしまいました。
しかも、感謝されるだけでなくお給料まで貰える。これも「働いてお給料をもらえるのは当然」と考えるのかもしれませんが 、感謝されたうえにおカネをもらえることに、何度も何度も「いいのかな」と確認してしまうぐらい、今までに体験したことのない感覚だったんです。
こんな喜びを感じられるなら、世の中できついと言われる介護の仕事も、全然苦になりませんでしたし、こうやって日々安らかな気持ちで暮らしていけるのなら、と幸せでしたね。
また、介護の仕事をする中で、喜びだけでなく、自分は「人」が好きなんだということにもあらためて気がつきました。最初は『ストリートファイターⅡ』の世界観にハマってゲームをやっていたわけですが、それをずっと続けられたのは、目の前に「人」がいたからなんですね。どうして、こういう動き方、戦い方をするんだろうって、目の前の対戦相手の心のうつろいみたいなものを、プレーを通して、いつも考えていました。
再びゲームの世界へ進んだ理由
――「人」が、梅原さんのキーワードだったと。
奇しくも悩み抜いた勝負の世界と離れたところで、気づかされました。充実した介護の仕事を続けていたある日、友人からゲームの誘いを受けました。ちょうど10年ぶりぐらいに、ストリートファイターシリーズの新作が出たんです。自分にとってゲームは過去のもの、と誘われても断っていたんです。ところが、「一回でいいから」と、友人があまりに誘ってくれるので根負けしてやることに。
久しぶりにコントローラーを握った時に、不思議な感覚が蘇りました。自由自在に、画面上に動きが反映できる。自分の体が馴染んで、反応してくれる感覚。ゲーム=勝負だった自分にとって、単純に「気持ちいい」という感覚で向き合えるぐらい、自分の中でゲームとのちょうどいい距離ができていたんです。
――そこから、どうやってプロゲーマーになっていくんでしょう。
実はそのころに、例の「背水の逆転劇」のプレー動画を見て、ぼくの存在を知った海外プレイヤーの間で、ネット上で「ウメハラが、ゲームを再開した」と広まってしまったんです。だんだん大きくなる声に押されて、ついにカプコンオフィシャルのイベントに招待されてしまう事態に。最初は、一度離れた世界で脚光を浴びることに躊躇し、出場するか否か、めちゃくちゃ悩みましたが、人から求められることがやっぱり嬉しくて、「じゃあ記念に」と参加したら、全勝。そしてまた、世界大会の舞台へと進んでしまいました。