梅原大吾「勝ち続けるプロゲーマー」が誓う掟 すべてのきっかけと動機は「人」だった
また、明確な期限はないけれど、人生は有限だからなるべく早くからスタートを切った方がよいということだけは、子どもなりに考えていたんです。親にも先生にも友達にも言えない、早く走りたいのに走れないような、誰にも言えないモヤモヤした時期でしたね。
――しかも、自分の走るコースがどこにあるのかすら、わからない。
未来の「世界一」になる人間は、もうすでに自分の道を走っているはずで、自分の方はまだ何にも打ち込めてない、と無駄に焦ってました。そういうモヤモヤの中で、自分の感性にぴたりと当てはまったのが、対戦格闘ゲーム『ストリートファイターⅡ』だったんです。
その世界観に惚れ込んで、それから飽きることなくなく毎日毎日、正月以外はゲームセンターに通う日々が始まりました。ガキのころは、台風でもびしょびしょになりながら通い詰めてました。「ゲームのためだったらたいしたことない」と、ちょっとおかしいくらいハマっていましたね(笑)。
でも実は、このときの心境は、「世界一への道が見つかった」ではなく(子供ながらにもまさか“遊び”のゲームで食っていけるとは思っていなかったので)、親父の言う「世界一」の存在とは、何か違うと思っていました。
――一方で、日本一の後は世界一と、着実にタイトルを獲り続けていくわけですが。
ゲームがただの遊びとして見られていたなか、17歳で世界一になった時も、「親父が言っていた世界一」って、このことじゃないよな、と優勝して嬉しい気持ち反面、どこか冷静に考えていました。親父からは、ゲームに関して、干渉されることは一切ありませんでしたが、同時に褒められることもなかったんです。
世界一を獲って「やっぱりこれは何か別の道を探さなきゃ」と、いよいよ本気で考えはじめましたね。
トッププレイヤーの知られざる苦悩
世界一になってひと区切りついたこともあり、ゲームの他に自分にできることを探しはじめました。ところが、周りを見渡してもゲーム以上に熱中できることが見当たらなかったんです。
何かを極めようとするには、タイムリミットが迫っている。でも、ゲーム以外に向かうべき道が見つからない。ダブルの焦り。毎日、焦ってばかりで気分も最悪でした。ゲームばかりで、何ひとつ社会で役立つことは身につけずにきてしまったので、このままでは「ヤバいんじゃないか」という自覚はありました。それで、2004年カリフォルニアで開催された格闘ゲームの世界大会『Evo2004 ストリートファイターIII 3rd』を境に、もうゲームからは足を洗おうと決めたんです。
――ラストの試合は、のちに動画投稿サイトで2000万回以上再生され、「背水の逆転劇」として話題になりました。
そのプレー動画のことは全然知らなくて、数年たって人づてに知ったんです。とにかく自分の気持ちは、次に進みたいということだけだったので、後のことは気にも留めていなかったんです。ちょうどアルバイト先の飲食店で、同い年の同僚3人が大学卒業と就職で辞めていったのも、自分が次へと進む決心を後押ししてくれました。