錦織圭を育てたコーチが見た「天才という病」 なぜ有名選手が続々と不祥事を起こすのか
巨人の野球賭博問題、清原和博・元プロ野球選手の覚せい剤取締法違反。バドミントンの違法カジノにスノーボードの大麻問題と、アスリートの不祥事が続いている印象は否めない。自国開催の東京五輪・パラリンピックを4年後に控えた大事な年に、日本のスポーツ界が濃い霧に包まれている。
忘れられない、かつての清原の評判
道を踏み外す選手と、そうならない選手。何が違うのだろうか。そこを考えたとき、思い出すことがある。新米スポーツ記者だった1990年前後だったか。清原の西武時代。怪物の片りんは見せていたものの、タイトルが獲れず「無冠の帝王」と言われ始めたころだ。西武球場での取材帰りの車で、先輩記者たちの話を聴いていた。
「キヨはとりまきが悪い」「ホントになあ」
そこで新米は「トリマキって何ですか?」と尋ねたら「大人のことだよ。周りの、オ・ト・ナ」と先輩らは声を揃えた。
ぽかんとしていた20代の小娘も、20数年経ち人の親となった今ならわかる。アスリートの成長に必要な「オトナ」は、技術指導や試合の采配に長けているだけではなく、勝ち負け以外に人間として大事なものを教え、浸透させることのできる大人なのだ。
「天才という病」にかかりやすい子にとって、そんな大人が近くにいることは何より必要だろう。要するに、才能に満ちあふれ、子ども時代から「凄いね」「天才だね」と言われて育ってきた子どもは、どうしても周囲にちやほやされ天狗になりやすい。無意識のうちに「何をやっても許される」万能感に近いものを抱く傾向が強いからだ。
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