清原和博元プロ野球選手が、覚醒剤取締法違反容疑(4日現在)で逮捕され、「容疑者」となってしまいました。私は現役時代の彼の大ファンでしたので、失望感と怒りでいっぱいです。彼がPL学園の選手として甲子園で活躍していた時代は、その中継をすべて見たわけではない私でさえ、甲子園は彼のためにあるのではないかと思えたほど、新聞その他のメディアは連日「清原、清原」でした。
そこまでは私にとって彼はただのヒーローでした。ファンになったのは、そのあとのことです。そんな人は多いのではないでしょうか。
巨人に入れず流した涙
私は長く生きてきましたが、プロスポーツ界の過去の映像で感動深いシーンを、さほどは覚えていません。しかし30年前のある二つのシーンは、強烈に鮮明に覚えています。清原容疑者がドラフトで巨人に入れなかったときの、王さんの名前が刻まれていたというバットを握りしめて悔し涙を流したあの記者会見です。
正確なことしか話をしないような真面目な記者やアナウンサーたちの話を聞く限り、そのときに巨人と彼は相思相愛だったそうです。しかし巨人は早大進学希望で指名辞退していた、PL学園の盟友・桑田真澄氏を指名したのでした。その日から私は清原さんの応援団の一人になりました。
もう一つの鮮明な記憶はその2年後、巨人と西武ライオンズが日本シリーズで戦った際に、西武の清原選手が流した涙です。第6戦で9回表、あと一人で西武が優勝するという場面で、一塁を守っていた清原選手が、込み上げてくる涙を抑えきれず、泣き出しました。私は西武ファンではありませんが、“あの日”以来、清原容疑者を特別な思い入れで応援していましたので、ついに巨人に復讐する瞬間を迎えたことに、関係者でもない私も溜飲を下げ、一人泣きじゃくってしまったのを思い出します。
その後の彼の活躍を、ここで語るつもりはありません。無冠の帝王と呼ばれ、記録の人ではなく記憶の人と呼ばれるほど、なんとも魅力的なプロ選手でした。逮捕後のさまざまな報道をみて、彼に憧れて彼を目標にプロを目指したという野球人の多いことにも改めて気づかされました。おそらく、その社会的な責任の重さに気が付いていたはずです。
それでも、クスリの誘惑には勝てませんでした。
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