2014年3月に、「週刊文春」で清原容疑者の薬物疑惑が報道されました。その後何かの拍子にテレビなどで見る彼の姿は体格もぶよぶよで、“疑惑”を上塗りするような表情でした。仕事は激減していったそうです。
ただし、この時点では彼のそばには妻子がおりました。そして、大阪には両親がおり、その他親友や友人・知人がいたのではないでしょうか。今回の事件後の清原容疑者の事務所の発表で初めて知りましたが、彼をマネジメントする事務所もまだありました。報道は火のない所から立ち上る煙なのか、あるいは真実なのか、周囲の人たちは突き止められなかったのでしょうか。それとも知っていても、何も言えないような関係だったのでしょうか。彼は裸の王様だったのでしょうか。
桑田氏は、本当に大丈夫かと清原容疑者を心配してかけた電話に、「他人の人生に口出しするな」と冷たくあしらわれてからは疎遠になったと、コメントしています。そのようにして彼の周囲から人が離れていったことも考えられますが、私のような彼から遠い所で見ている者からも、彼を独りにしておくのは、危険極まりないようにみえました。
どのようないきさつがあったにせよ、捨て身になって彼につきっきりで入院治療を受けさせるか、その時点で通報するくらいの人が不在だったことが、残念でなりません。
燃え尽き症候群は言い訳にならない
とは言え、最大の責任者は清原容疑者自身です。彼自身が強い意思で誘惑をはねつけ、踏みとどまるべきだったのは言うまでもありません。
しかし、清原容疑者には弱さがありました。この感を強くしたのは昨年3月に、NHKが彼にインタビューした内容を、逮捕の翌日に紹介していた番組を聞いたときのことでした。
「清原和博という大きな名前が重すぎた。9歳から野球にだけ没頭してきたので、野球を引退したら、他に何をすればよいか解らず、この世から野球が無くなればよいのにとか、この世から清原和博がいなくなればよいのにと思った」という主旨でした。
また「(現役当時は)メディアで叩かれても、ホームラン一本打てば一発逆転のように(または勝てば官軍のように)周囲は好意的になった。野球を離れた今は、反論する場が自分にはない」という風なことも言っていました。
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