日本人はこの国の真の価値に気付いていない ニューヨークの漫画家が感じる日本の強み

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――日本に帰国して普通なら就職活動となるわけですが、ミサコさんは再びアメリカを目指したのですよね。ご両親は反対されませんでしたか?

私の両親は公務員でまじめな家庭だったので、反対はしていましたよね。でも、アメリカで暮らしたい気持ちは強かったから、インターネットでニューヨークの劇団の美術スタッフの仕事を見つけて応募してしまいました。ビザもなんとか取得して、再渡米しました。その時はライオンキングの人形師になるのが目標で、舞台美術の仕事を頑張っていたのですけど、それは長く続かなかった。おカネにならないレベルの仕事だったし、私が自分自身の可能性を信じられなくて。これが最初の失敗ですね。

その後、9.11が起きてニューヨークはパニック状態になっちゃったり、大家さんに突然家を追い出されたりして、一時は公園でホームレスもしました。おカネもつきてしまい、ゴミ箱の中からまだ食べられるものを拾って食べたり。なんとか中学校の美術講師のバイトなどで生活を立て直して、その頃知り合ったイケメンのアメリカ人男性と国際結婚。ところが、あこがれていたアメリカ人との結婚生活は長続きしなくて……。仕事も結婚もうまくいかなくて、一時はストレスで睡眠不足になり、睡眠薬や精神安定剤で身体も精神もボロボロの状態にまでなりました。

失敗のどん底から一転、漫画家の道へ

――どん底まで落ちた後、漫画家になる決意をされたのですよね。ペンを握るきっかけは何だったのですか?

ウィスコンシン州で7つのバイトを掛け持ちしてなんとか暮らしてた頃、子供美術館の受付で、あるアメリカ人の子供がドラゴンボール持ってきて、「日本人でしょ? この漫画知ってる?」と見せてきたのです。「どこで日本の漫画手に入るのか?」とその子に聞いたら、「図書館に行くと沢山あるよ」と言われて。それで、図書館に行ってみたらアメコミと日本の漫画が沢山あって、それを見た時にこれだーー!! とひらめいたんです。その頃、もう離婚するかしないかの修羅場で真っ暗な闇の中にいたので、一筋の光が見えたような気がしました。「私のように波乱万丈な人生送ってるアジア人女子の話を漫画で描いたら絶対ウケる!」と思ったのです。

もちろん、それまで私は漫画を描いたことないですから、独学で一から勉強しました。アメリカ人にウケる様に、漫画のタッチやストーリーもアメリカ人向けにアレンジしました。何社もの出版社に自分自身で売り込んで、ようやくある出版社に本を出してもらえることになったのです。ヒラメキと直感で道を拓いたら、あとは強いパッションと行動力で道を進むだけ。それまでにさんざん失敗してどん底にいましたから、落ちるとこまで落ちたからこそ、道が拓けた、チャンスに気づけたのだと思います。

自伝的漫画 『Rock and Roll Love』より
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