京都は四条河原町の雑踏から
皆さん、1カ月ぶりの連載第2回目です。実は連載第1回がアップロードされた頃、私は、京都で行われた、とある学会に出席するために、日本に一時帰国しておりました。
学会会場の京都大学から懇親会会場に移動する際、繁華街である四条河原町を通りましたが、寒くもなく暑くもないという絶好の散歩日和で、雑踏の中、ふと心は1000年前にタイムスリップ。当時の人々が市に集う架空の賑わいに身を投じてみたのです。
(人は、そういう創られた「架空」の投影を「追憶」し、リアルに実在した「歴史」と思い込んでしまうものかもしれませんが)
今、これを書いている傍らにある倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書、2013年)の巻末年表で調べてみると、1013年は、3年前に崩じた一条天皇を継いだ三条天皇の御代。
時の権力者・藤原道長は48歳。前年に入内させた自分の次女である妍子(けんし)中宮が、禎子(ていし)内親王を生んだ年です。
言うまでもありませんが、親王の誕生を望んでいた道長はこれを喜びません。倉本一宏『藤原道長の権力と欲望』(文春新書、2013年)によれば、むしろ、怒りを隠さなかったとのこと。
一条天皇の父、円融天皇の同母兄であった冷泉天皇を父に持つ、つまり一条天皇とは従兄弟同士である三条天皇が、一条天皇にべったりだった道長と、うまくいっていなかったことはよく知られています。
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