「科学者には国境はあるが、科学には国境はない」
皆さんもお聞きになったことがあるかもしれません。人口に膾炙(かいしゃ)しているこの言葉。19世紀後半フランスの細菌学者、ルイ・パストゥールの言葉とされていますが、どうやらこの日本語版には脚色が入っているらしく、より正確には、
「科学は国というものとは無縁である。何故ならば、知識は人類に属しており、世界を照らす光でもあるからである」
というのがパストゥールのもともとの言葉だったようです。
しかし、ここでは経済学を念頭におきながら、敢えて「科学者には国境はあるが、科学には国境はない」というステートメントのほうを取り上げて、考えてみたいと思います。このときの「科学」は、「科学の対象」と「科学の方法」の双方を含んでいる、としましょう。
どこの国にいても、細菌Xは細菌Xだから
まずは、「対象」のほうです。
パストゥールが対象としたような細菌であれば、細菌がいるのがどこの国であったとしても、物理的環境の違い以上の影響は受けないでしょう。
ただ、そうした自然科学を離れて、社会科学あるいは人文科学に目を向けてみるとどうでしょうか。そこでは、対象にされるほう、するほうの双方において、「科学に国境はない」と言える状況ではなくなってくるのではないでしょうか。
もっとも、経済学の基礎的な概念においては、あまり「国境」は関係なさそうです。たとえば経済分析の基礎であるミクロ経済学で出てくるのは、効用、利潤、無差別曲線、ナッシュ均衡……。極度に抽象化された概念で、「国」が入り込む余地はありません。
私は詳しくありませんが、ほかの隣接人文社会科学においても、程度の差はあれ、基礎的な概念レヴェルにおいては同様の状況なのではないでしょうか。
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