真理は発見されるのか、発明されるのか? 私の心の中の澱、20年問い続けてきたこと

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

連載にあたって、ご挨拶

私は、経済学の教育と研究に従事しています。

しかしこの連載では、経済学に直接に関係している事柄というよりもむしろ、経済学の勉強の過程において考えてきたこと、あるいは現在進行形で考えていることについて、述べていきたいと思います。この連載が「練習曲(エチュード)」である所以です。

著者撮影:2013年5月現在、カナダの桜も満開に

また、現在、研究のためにカナダのトロント市に滞在しています。そこで、社会科学徒として当地で感じること、考えたことなどを反映する内容ともなる予定です。

私がこの地に到着したのは、3月下旬。日本では桜が咲き始める頃、日中でもマイナス5度で、時折粉雪が舞う天気でした。しかし、それも数日。空は澄み渡り、気温は上がりました。と言っても、日中でもゼロ度でしたが(笑)。そんな到着から最初の週末、近くのオンタリオ湖に散歩に行って一首。

「親子鴨 
   湖畔に遊ぶオンタリオ
    春の日近き空も青なり」

あの数匹は、親子ではなかった「かも」知れませんし、やはり親子だった「かも」知れません。

そんなカナダも5月になって、ようやく春(というより夏)到来。桜並木にデジカメを持ってうろうろしていたのは私だけではありません。

次ページ天動説と地動説、「真理」と言われるのはどちらか?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事