真理は発見されるのか、発明されるのか? 私の心の中の澱、20年問い続けてきたこと

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石橋湛山に学ぶ

さて、ここは「東洋経済オンライン」。で『東洋経済』と言えば、石橋湛山。最後は湛山翁に、この連載の初回を締めくくっていただくことといたしましょう。

人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない。(「国家と宗教および文芸」、岩波文庫版『石橋湛山評論集 』p.20)

実際の我々の生活はいかに今国家というものに支配せられているか、いかに今社会制度によって支配せられているか。もし人生を徹底的に具体的に考えるなれば、是非ともここへ触れて来ねばならぬのである。(同p.22)

なお、通俗的なイメージから、湛山「翁」と書いてしまいましたが、今、気になって調べてみたら、湛山がこれを著したのは、1912年(明治45年)。1884年(明治17年)9月生まれの湛山ですから、少壮27歳でこう看破している訳です。

湛山の精神に学び、連載を通じて読者の皆さんの助けを借りながら、私の第二の問い――「日本とは何か? そして国家とは何か?」――への「答え」を「発見」あるいは「発明」するための糸口を掴めれば幸いに思います。果たして、私の心の中の澱はどこまで浄化されていくのでしょうか。

 

著者撮影:冒頭で申し上げたとおり、カナダに着いたのは、まだ雪の残る頃のことでした。次回の更新は、6月半ば頃を予定しています。

 


 

安達 貴教 経済学者

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あだち たかのり / Takanori Adachi

京都大学経営管理大学院准教授。Ph.D.(米ペンシルヴェニア大学)。著書『データとモデルの実践ミクロ経済学』(慶應義塾大学出版会)が近刊の予定。

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