こうして、平川さんは32歳でリクルートを退社。留学支援会社を立ち上げることにした。
無一文から、社員20人の女社長へ
当時の平川さんは無一文に近かった。
「MBAの費用は会社に出してもらったのですが、退社するときに1000万円ほど返したら、150万円くらいしか残らなかった」
ところが、味方は思わぬところから現れた。
「以前、飛び込み営業で知り合った女性社長に独立の相談をしたら、『あなた、いくら持っているの?』と聞かれて。それで、150万円で、会社を売ってくれたんです」
1999年当時は、今のように1円で会社を設立できる時代ではなく、有限会社の立ち上げに300万円、株式会社なら1000万円の資本金を積む必要のあった時代だ。それを、150万円で有限会社を売ってもらうとは、通常、ありえないこと。平川さんが、いかに顧客に信用されていたかを証明するような話だ。
ラッキーはさらに続いた。会社の経営がすぐに軌道に乗ったのだ。
「当時あった留学斡旋会社は、相談者を1人送り込むごとに、留学先の学校から手数料を取る方式のところがほとんど。でも、その方式だと、本当のお客さん志向は貫けない。だから私は、留学希望者から40分7500円というおカネを取って、留学のアドバイスをするコンサルティング業を始めたのです」
狙いはズバリ当たった。「本音主義」の平川さんは、訪れる留学希望者に、その人のためと思えば、「アンタ、留学するのは辞めなさい」と言うこともある直言ぶりを発揮。これがかえってお客さんから信用される要因となり、紹介、紹介でお客さんは引きも切らなかった。
気づけば、あっという間に社員20人余りをかかえる「女社長」に君臨。わずか数年で、カリスマ占い師の「新宿の母」ならぬ、「自由が丘(当時の会社所在地)の母」と呼ばれるまでになっていたという。
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