ヘイトスピーチの先にあるもの
日本ではタブー視されて意図的に教えられていないが、平頂山事件、シンガポール大虐殺、台湾人・オランダ人従軍慰安婦強制連行、3・1運動虐殺、関東大震災時の在日朝鮮人虐殺、朝鮮王朝の明成皇后虐殺など、戦前はまさに虐殺事件のオンパレードだった(ネットで調べていただければいろいろ出てくると思うが、枝葉をつついてわーわー言うのではなく、全体を俯瞰した大局をつかむことが大切だ)。
その蛮行の背景には、それらを心理的に正当化するための諸外国への不当な差別意識の醸成が行われていたことがある。例えば冒頭で紹介したヘイトスピーチのように、隣国の人々をゴキブリと呼び、絞め殺せと叫ぶことを容認することで、さまざまな蛮行の前提条件をつくったわけだ。旧日本軍の731部隊のような生きている中国人への人体実験では相手を人間と思えばできないので、丸太と呼んでいたのは有名な話である。
過去を教えたドイツと、タブー視した日本
最近、ドイツ人の友人(冒頭で話した、カルフールで買ったミキサーを直してくれた女性エンジニア)と話したとき聞いたのだが、ドイツでは小学生でもナチスの行為やガス室の歴史に胸を痛め、歴史の暗部として恥に思っている。またネオナチのような過去のユダヤ人虐殺を否定するような言動は、表現の自由ではなくヘイトクライムとして法律で禁じることで、制度的に歴史の教訓が生かされるようになっている。
これに対し日本では残念ながらタブー視することが選ばれ、ここで書いたような海外では常識的な事件も学校やメディアでは無視するか、表層をなぞるだけである(加えて枝葉をつついて全体否定に持ち込む詭弁がまかり通っている)。ちなみに日本自身がホロコーストを行っていたナチスドイツの有力な同盟国だったことはすっかり抜け落ちており、戦争の悲惨さを語るときはいつも東京大空襲や原爆投下を引き合いに出し、まれに見る残虐さを見せた旧日本軍が行ったことは、暗黙の了解で具体的には触れられない。そんなタブー感は一切無視して、グローバルエリートはさらりと書かせていただこう。
戦後70年経って、「不逞鮮人を皆殺しにしろ!」などというヘイトスピーチが日本の首都で白昼堂々とすさまじい規模で横行しているのだから、過去を繰り返さない、という言葉が制度的に実践されていないことが明らかだ。このような現状で「侵略の過去を反省している」と海外で謝ったところで、言行不一致として不信感を招くだけであるし、また何より、善良な大多数の日本人の国際イメージを著しく毀損している。
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