尖閣問題で感じた、我ら日本人のビビり根性 首相補佐官として見た、尖閣問題の真実

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グローバル化が急速に進む中、われわれは「日本人とは何者で、日本とはどんな国なのか」という問いに直面しています。 この連載では、米国で18年間を過ごし、財務官僚、首相補佐官として、政治の最前線を見てきた著者が、自らの経験や日本の歴史を踏まえながら、日本に今必要な「物語」とは何かを考えます。
日本を牽制するため、東シナ海で演習を行う中国海軍(写真:AP/アフロ)

前回の内容を要約すると、次のとおりになります。「財政再建のように国民の犠牲(税負担)を伴う課題を解決するためには、『愛国心」が不可欠である。その『愛国心」を育むためには、国家と国民に対して愛着を持ちうるような『国家の物語』が不可欠である」 図式化すれば、以下のようになります。

「自己犠牲を伴う改革のためには→愛国心」

「愛国心のためには→国家の物語」

今回の連載では、生命の自己犠牲をともなう、防衛の観点から、愛国心について考えてみます。

石原都知事の行動はなぜ問題だったのか?

昨年の9月から、私は、第二次野田内閣の首相補佐官を務めました。担当は、尖閣諸島です。当時、都知事であった石原慎太郎氏が、急に尖閣諸島を購入すると発言。のみならず、島の上に施設などを建てると主張しました。私は、この政策が、理屈として正しいかどうかを問題にしていません。

確かに、日本の領土である尖閣諸島に何を造ろうと、わが国の勝手です。しかし、現実の政治は、理屈どおりには行きません。一方で、中国が武力に訴えることも覚悟しなければなりません。危機管理上、当然の話です。問題は、「武力紛争にも発展しかねない事柄を、一地方自治体の首長に任せていいのか」ということでした。  

実際、人民解放軍の軍艦や戦闘ヘリが押し寄せてきた場合、石原都知事はどうするつもりだったのでしょうか。

政治にかかわらず、指導者の「権限」と「責任」は、必ず表裏一体でなければなりません。これがずれると、組織の舵取りができなくなり、責任の所在も不明確になります。東京都には尖閣諸島で好き勝手にモノを造る権限はあるけれど、その尻ぬぐいは真っ平ごめん――そんな態度で、東京都が外交防衛問題を起こして、「あとは国がちゃんとやれ」と責任転嫁することは、国として統制のとれた外交ではありません。

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