――そして現在、今度は中学受験に向けた塾ではどんなことをやっているんでしょうか。
多分実際に見たら驚かれると思いますよ。小学低学年でおよそ、2000~3000字の文章を読んでいます。その後で問題を解くので、90分の授業では、すべてこなすことはできません。例えば10の問題があるとしたら、塾の授業でやってくれるのは3問くらいです。それが意味しているのは何なのか。残りは親がきっちり指導してくださいね、ということです。
麻布の「ドラえもん問題」は何を映すのか
――かつての塾での勉強というと、とにかく知識詰めこみ型という印象がありましたが、今は違ってきているんですね。どうしてこんなに変わってきたのでしょうか。
問題を見ると、びっくりしますよ。かつて、僕らがやっていたような植木算だとか、鶴亀算だとか、旅人算がそのまま出てくることはありません。今年の入試では麻布学園の「ドラえもん問題」が話題になりました。
どういう問題かというと「ドラえもんは優れた技術で作られていますが、生物として認められることはありません。それはなぜですか」というものでした。こういう問題は受験勉強では絶対に出会いません。でも問題をよく見るとその前の長文で生物としての定義づけもされているし、よくよく考えれば答案を仕上げることができるレベルまでのヒントは散りばめられています。受験者の底力を試すような問題が増えてきました。
なぜ受験問題が変わってきたのか、少し俯瞰して考えてみると「時代が変わってきた」からだと思います。
僕が大学生になる頃は、ちょうどバブルの真っ盛りの時期で、まだまだ日本のマーケットが成長していた時代でした。成長市場においては、何か突飛なことを考える必要はなくて、先人たちがやってきたことをきちんとトレースしてやっていけば、ある程度の成功は約束されていました。そうなるとビジネスで求められているスキルは、自分で何か新たな発想をするということではなくて、敷かれたレールを外れないようにきちんとルーティンワークを処理していくことだと思います。
ですから、大学入試でも規範を与えられて、それをしっかり覚えているか試すものが合理的でした。