さて、前回はレバノン人エリート、ジョーマイゲル氏の略歴とレバノンの歴史を紹介したわけだが、もちろんそれだけで終わるわけにもいかない。
2回連続で最低100いいね!に達しないと、私のほうこそ東洋経済から“手足を切るようなリストラ”や“頭部が吹き飛ぶような大リストラ”を食らってしまうので、今回という今回は本気である。もしも100いいね!に達しなかったら、「グローバルエリートは見た!」は涙の引退をさせていただく所存である(ただ引退しても、プロレスラーのようにしょっ中復帰するが)
さて、建設業界のゴールドマン・サックスとも言いわれるベクテル社で将来のパートナー候補として頭角を現したジョーであるが、年収数千万円で将来は何億円もが毎年転がりこんでくるベクテル出世頭のポジションを顧みず、退社してしまった。
その理由は大好きでお世話になっていた、自身のメンターでもあった上司の急死が原因だったという。その上司はベクテル社(ちなみに同社は上場しておらずパートナーシップ制である。創業家のライリー・ベクテルCEOが過半数を握り、残りが世界中に散らばるパートナーにシェアされている)の上級幹部として、投資銀行などの幹部をはるかにしのぐ高給を得ていたが、多忙で家族と過ごす時間が全然なく、ジョーが言うところの“おいしいワインを飲んで幸せと思うような”小さな普通の幸せに不感症になっていたのだという。
尊敬していたが幸福ではなかった上司の死を目の当たりにして、ジョーは人生の哲学として、仕事は人生を幸せにしてくれないなら、いくら儲かっても人生を費やすべきではないと確信するようになった。
そして遠い将来、50歳ぐらいになって「しまった、この仕事は俺がやるべき仕事ではなかった!」と遅ればせながら気づくのはごめんだと、私の目を見ながら真剣に語る。
そんな中、考え方を変え、自分が想像もしていなかった生き方や職業を探りたい、その一心で、世界80カ国からさまざまなバックグラウンドを持つエリート層が集うINSEADへの入学を志したという。
シャルモネというスキー場に向かう車内でのインタビューの最後に、私はジョーに東洋経済の親愛なる読者の皆様に一言お願いしたところ、以下のようなコメントをくれた。
「私は500万ドルもらい、上司のように金銭的に成功して小さな幸せを忘れる人生を送るより、年収1万ドルでも家族や友人と好きなことをして暮らせるほうが幸せで生きる価値ある人生だ、と信じています。私の話が面白いとは到底思えませんが、これらの話が少しでも日本の読者の皆様に面白いと思ってもらえれば幸いです。
ところでムーギー、このインタビューに答えたら日本で有名になれるというは本当なんだろうな?」
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