出家とは何か
私は、このような生き方をする人たちに、ある種の「出家」的な価値観を感じます。
「出家」というと、「これ以上、あの上司の理不尽さには耐えられない! いっそのこと出家でもしちゃうか」というふうに、どちらかというと目の前の現実(しばしば理不尽な)から逃避するというネガティブな文脈で使われることが、一般的には多いように思います。しかし、それは出家というよりむしろ、家出に近いものでしょう。
では、出家とは何か。まさに『出家とは何か』(佐々木閑著)という、うってつけの良書がありますから、ちょっと見てみましょう。
「俗世間から修行世界への一足飛びのジャンプが出家と呼ばれるのである」
つまり、出家はただ目の前の現実から逃げることではありません。修行の世界に入ることなのです。「個人フリーランス」にせよ「社内フリーランス」にせよ、その活動の動機は、おカネやポストといった世の中が用意した尺度によって幸せを満たそう(満たした気になろう)というものではありません。自分のやりたいこと・やるべきことを見定めて心自由に本気で学び、仕事をし、生きているという実感を得ようとするその姿は、もはや人生の修行者といってもいいでしょう。
「社内地蔵」になってはダメ
もうひとつ、重要な点があります。
「(出家は)他人との一切の関係を拒否する世捨て人と本質的に異なる」
「俗世間の価値観を拒否した人達が独自のグループを作り、しかもなお俗世間と密接な関係を保ちながら併存していく」
出家とは、ただ既存の社会の外に出るのではありません。既存の社会と緊密な関係を保ちながら外に居り、なおかつ既存の社会にもインパクトを与えることが大事なのです。どうでしょう。「出家」という言葉のイメージが変わりませんか?
その昔、窓際族という言葉がありました。会社にいながらほとんど何もせず(できず)、そのうち誰からも顧みられなくなり、ただオフィスで自席に座っているだけで日々が過ぎていく――。
このご時世ではそのような人を雇い続ける余裕のある企業も少ないでしょう(とある企業ではそういう人が「地蔵」と呼ばれていると聞いたことがあります)が、それは社内世捨て人です。そうではなくて、「社内フリーランス」は、会社という名の既存のムラ社会から価値観のレベルで外に飛び出しながらも、そのど真ん中で生き生きと仕事をしつつ、つねに組織に新たな風を送り続けている人。そんな人、あなたの周りにもいませんか。
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