その後、彼は大学を2度にわたって中退している。1度は地元の大学、もう1度はニューヨークの大学である。しかし、自分の関心にマッチした仕事にありつく才能には長けていたようだ。
最初の仕事は、地元大学を退学した後、ニューヨークの配車サービス会社のシステムにハッカーとして入り込み、そこでセキュリティーの穴を見つけたことがきっかけだった。善意でハッキング行為をするハッカーがよくやることだが、ドーシーも会社側にその不備を知らせた。
感銘を受けた社長がすぐに彼を雇い、ドーシーはニューヨークへ越すことに。そこで大学へも通い始めるが、大学へ行くことにも、そこで始めた新興企業もうまくいかず、再びセントルイスへ帰還。何と今度はマッサージ師の資格まで取ったという。
そのうち、配車サービス会社の社長がサンフランシスコへ引っ越すのに伴って、ドーシーも西海岸に渡り、サンフランシスコのフェリーサービス会社のためのチケットシステムのプログラミングなどの仕事をしていた。その頃に出会ったのが、後にツイッターの3人の共同創設者となるエヴァン・ウィリアムズとビズ・ストーンである。
再ブレイクにつながった、あるアイデア
ドーシーは、ウィリアムズが共同創設したポッドキャスト会社、オデオに加わったが、そのうちネットを利用したメッセージングの仕組みを考案し、その開発グループはどんどん大きくなっていった。
ついに、そのグループをスピンアウトさせてできたのが、ツイッターだ。一般サービスがスタートしたのは、2007年のこと。その後のツイッターの発展ぶりは、周知のとおりだ。
だが、しばらくして経営陣の間で仲違いが起こり、ドーシーはCEO職を退く。そこから起業したのが、スクウェアである。
きっかけは、旧知の知人だった。その人物が自作のガラス作品を売ろうとした際、クレジットカードでの支払いを受け付けることができなかったために、売買が成立せず、数1000ドルの収入をみすみす逃した、という話を聞いたことだった。
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