それにもかかわらず、こちらのほうは倒産したり、カネ儲けだといって軽蔑されたりする。なぜだろうか。帰りの電車の中でいろいろ考えた末、はっと気がついた。
「それは商売に使命感がないからや。宗教には人間を救うという大きな使命感がある。それや、それなんやと思った。いまのままではいくら熱心に経営を行っていても、力強い行動は行われない。
それでは商売をするものの使命はなにか。貧をなくすこと、世の中を豊かにすること、貧をなくして人びとを救うことや。この世から貧をなくすことがわしらの使命なんや。そこで悟ったんやな、わしなりに。そしてこれがわしの経営を進める基本の考え方になった。そういうことがあって、わしは自分の事業を一段と力強く進めることができるようになったんや」
悩み考え続けなければ、悟ることもできない
おそらくそれまで悩み、考え続けていたことによって、いくつかの断片的な考え方が松下の頭の中にできあがっていたのだろう。池に氷が張るときは、小さな氷片がいくつもできたあと、それらが一瞬にしてくっつきあい池全体に氷が張るという。その宗教の本部を見たことが、使命感を悟るうえでの、最後のひと押しになったのだと思われる。悩み考え続けることがなければ、悟ることもできないのだ。
方針をつくるということは、難しいことである。ましてやその背景となる使命感を悟ることの困難さは、もはや言葉で説明することは不可能かもしれない。松下幸之助といえども、悩みに悩み抜き、考えに考え、考え抜いてようやく基本の考え方をつくりだした。
そのやり方に学ぶしかない。大勢の社員の命運がかかっているのである。経営者は、いわば命がけで考えて悟らなければならない。いかに難しくとも、使命感を自覚し、方針を決めないことには、経営を力強く進めていくことは決してできないのであるから。
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