神様からジャンクになったOEM マイクロソフトとの関係が急変

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OEMの神様ぶりを示す典型的なエピソードを紹介しておこう。95年前後のNECはコンパック(現在のヒューレット・パッカード)という黒船の脅威にさらされていた。当時、DOS/VでNECを猛追していたコンパックは、98版のエクセルの不具合を利用したPC-9800との比較デモを作成。新日鉄からの大量受注に成功する。

これに激怒したNEC幹部はマイクロソフト日本法人のOEM担当部長と製品部長を呼び出し、本社スーパータワーの会議室に軟禁。不具合が直るまでは帰さないというわけだ。イスに座ることさえも許さなかったという。事情を聞いた大浦博久OEM本部長がレッドモンドのマイクロソフト本社と連絡をとって原因の解明とその改修のメドをつけ、直立不動の部長たちを救出できたのは翌日明け方だった。

時差を考えてみれば、これは驚異的なスピードだ。米西海岸の午前8時は東京の午前1時なので、朝一番でメールを読んでその場で一気に解決をしなければ、明け方の救出は不可能だ。製品の不具合修正の配付(当時はCD-ROMだった)、店頭在庫の修正対応も、その後数日で終わらせてしまった。それくらいのスピード対応が必要なほど、NECの怒りは恐ろしいものだった。

「神様時代」の教訓とは何か

革新的なハードウエアテクノロジーとOS、そしてさまざまな消費者の要求を満たすパッケージソフトがともに支え合う、というエコシステムをマイクロソフトは進化させようとしていたはずだった。その思惑が崩れ始めたのはITバブルが崩壊し、市場全体が大きな変調を来たした2000年前後からだ。

OEMがパソコンでまともに利益を稼ぐことができたのも2000年くらいまで。その後はみるみるうちに衰退し、今ではOEMはボロ会社ばかりになってしまった。苦しいのは日本のOEMだけではない。OEM最大手であるHPも巨額の赤字を垂れ流している。レノボ、エイサー、デルなどの経営状況もよくはない。パソコンで利益を出しているOEMを探すほうが難しいくらいだ。マイクロソフトがハードに乗り出したことで、さらなる修羅場が待っている。

苦しい局面だ。しかし、こういうときこそかつて神様だった時代を思い起こすべきだ。その頃は各社にとんがった技術のタネがあった。若い社員が提案するパソコン事業の発展を見守る経営トップのおおらかさもあった。役員であっても現場の社員であっても、自分に不都合なことがあれば感情の赴くままに怒っていた。よく笑ったし、よく怒った。果たして今はどうだろうか。もちろん昔を懐かしむだけでは仕方がないが、建て直しのために必要な教訓は、過去の栄光の中に隠されているはずである。
 

山田 俊浩 東洋経済 記者

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やまだ としひろ / Toshihiro Yamada

早稲田大学政治経済学部政治学科卒。東洋経済新報社に入り1995年から記者。竹中プログラムに揺れる金融業界を担当したこともあるが、ほとんどの期間を『週刊東洋経済』の編集者、IT・ネットまわりの現場記者として過ごしてきた。2013年10月からニュース編集長。2014年7月から2018年11月まで東洋経済オンライン編集長。2019年1月から2020年9月まで週刊東洋経済編集長。2020年10月から会社四季報センター長。2000年に唯一の著書『孫正義の将来』(東洋経済新報社)を書いたことがある。早く次の作品を書きたい、と構想を練るもののまだ書けないまま。趣味はオーボエ(都民交響楽団所属)。

 

 

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