「そういう考え方ではあかんわ。経営者として失格や」
私が話をするにしたがって、松下の顔に厳しさが現れはじめた。
これはまずかったかなと思いながら、とにかくすべてを話し終わったとたん、松下は私の顔をキッと睨みつけた。そのときの言葉であった。机を叩きながら激しい口調でお叱りが続いた。昭和55年頃のことであった。
当時、PHP研究所の売り上げはまだ30億円を少し越える程度で、利益は微々たるものであった。それでも数年前まではまったくの赤字経営であったから、微々たる利益であれ、ましにはなっていたわけだが、もちろん経営基盤が確立したわけではなく、脆弱な経営状況であった。
『PHP』誌の値上げを考えたが…
そこでなんとか確実に経営したいと思っていた私は、赤字の要因の一つであった月刊『PHP』誌の値上げを考えた。当時120円であった定価を30円上げて、150円にしたいということを、数週間前に松下に頼んだことがあった。そのとき、松下は私の話を聞いたあと、
「値上げはやめとこう。いつも言っておるように、これはPHP運動の機関誌ともいうべきもので、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいと思っている。基本としてできるだけ安い定価でいこう」
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