「フリー40歳定年」がテレビをつまらなくした 経費削減がもたらした放送作家の変質とは?
放送作家の仕事内容について訊かれたら、「番組の構成を考えて、台本を書いたり、コーナーを考えたりすること」と答える。その通りといえば、その通りだが、「それだけではない」と言う人もいるだろうし、「そこまでやらない」と言う人もいるだろう。
例えば、ラジオの場合は映像がない分、台本を書く作家の比重が間違いなく大きい。メール(昔ならハガキ)を選ぶのも作家の仕事だ。その代替として、ラジオディレクターは選曲に労力を費やす。
番組によって放送作家の負担は異なる
つまり、担当する番組の事情と状況によって、放送作家の仕事内容は変化する。一律でやることが決まっているわけではないのだ。
がっつり台本を書くように指示され、その上でVTR部分のナレーション原稿やコーナー原稿を書き、あげくにロケへの同行まで要求される番組もあれば、会議に出るだけでいいという番組もある。本当に何もしないで結構なお金が振り込まれる。筆者はそのどちらも経験した。
プロデューサーやディレクターがどういう思考の持ち主で、どういうスタンスで、何を欲しているか、それで担当番組における作家の仕事は大方決まるといっていい。仕事量の個人差が生じるのはこのためだ。
「全体の流れを作るのがディレクターなら、放送作家はその肉付けの役割をはたす」。ディレクターと放送作家の関係性は、大まかにいえばそうなる。ディレクターと作家は相談しながら、番組の内容を固めていくのである。
「番組を面白くしたい」「そうすれば自身の評価も上がる」「また何より楽できる」。そのため、なるべく優秀な作家と組みたいというのがディレクターの本音であろう。当然である。愚鈍な作家と組んで良いことは何もない。また、相性を優先して作家を選ぶディレクターも多い。これも理解できよう。気の合わない相手と一緒に仕事したいわけがないし、組んでろくなこともない。第一仕事が捗らないだろう。