もし「自分で自分を変えられる」、「自分で人生を決められる」といったことが自明すぎるとしたら、それはその思想が、人びとから疑われないほど勝利したためだろう。
前回の連載記事「デキない人を狙う自己啓発セミナーの正体」で、私は自己啓発ビジネスの嚆矢としてTグループをあげた。1946年を起源として誕生したこの手法は、セミナー受講者が車座になって議論をひたすら繰り返すことにあった。バックグラウンドの異なる他の参加者から失望させられたり、喜ばされたりして、自分自身を深く見つめていき、それが自己改革につながる。
このTグループは真摯な研究者のフィールドワークから生まれたものだった。しかし、ここに現代の自己啓発セミナーなどの肝要点を見いだせる。それまでの自分が否定され、新たな自分に変えられる、といった一連の過程は、違う人たちにとっては商売と映った。
さて、自己啓発ビジネスができあがるためには、Tグループの発展とともに、自分で自分を変え自由に生きる潮流がやってこなければならなかった。
舞台は1961年の米国に移る。
ヒューマンポテンシャル運動とエスリン研究所の誕生
ボニー・アンド・クライドといえば、1960年代にアメリカの性、暴力、青春と絶望を描いた傑作映画『俺たちに明日はない』の主人公だ。性的描写から、衝撃的なラストシーンまで、同作は、それまでの常識を壊し、あらたな時代の幕開けを宣言した。それとおなじく、それまでの人間のありようを変えようとした2人の人物がいた。(マイケル・)マーフィーと(リチャード・)プライスだった。
瞑想、東洋思想、宗教、哲学に興味があった2人は、1961年にカリフォルニアの保養地を訪ねていた。そこで2人は、その場所を、同嗜好のひとびとが集まる施設にしようとアイデアを出した。施設を改修し、宿泊施設をつくり、セミナーを開いて収益化する。そうすれば、好きな学問にも没頭できる。
彼ら2人はスタンフォード大学で学んでいたため、師でもあり有名な社会学者でもあったグレゴリー・ベイトソンなどのアドバイスも受けられた。2人の人脈から、当時の著名な人物たちがセミナー開催を約束してくれた。
マーフィーとプライスの構想では、そこでセラピーやセミナーが開催され、心理学や哲学などが研究され、深い人間理解が可能となるはずだった。その場所は、それまでのような学術体系とは異なり、人間そのものに焦点があてられていた。人間の神秘、そして可能性。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら