「自分で自分を変える」はそもそも可能なのか 自己啓発ビジネスは最終欲求を受け止める

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<1962年の夏の間、マーフィーとプライスは、そのセミナー・センターについて正式に通知するパンフレットを作るのに多忙をきわめた。それにはいくつかのプログラムが含まれ、ある一般的なテーマの下に分類された。自分たちがやろうとしていることについてのテーマや基本的な名称またはスローガンの選択は、難しい仕事だった。(中略)彼らはその最初のプログラムを、「人間の可能性」(The Human Potentiality)という見出しをつけて世に送り出した>(『エスリンとアメリカの覚醒』ウォルター・トルーエット アンダーソン)。

さすがに、時間をかけただけのことはある。これがすべてのはじまりだった。ヒッピー文化も巻き込んで米国ならびに世界中に一大ブームを巻き起こす、ヒューマンポテンシャル運動(ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント)はここが起点であり、有名なエスリン研究所もこうやって誕生した。

伝統や制度に縛られずに、自由に生きていくことができる。そして、自分が主体である――という当たり前は、こうやって誕生した。

答えは自分のなかにある、という発見

お叱りを受けることを承知で申せば、私はエスリン研究所に関わったひとたちの著作を読んだものの、あまり理解できなかった。神秘体験や宗教心を前提として書かれており、猜疑心をすこしでも持つ者は対象外読者のようだ。

ただ、このエスリン研究所にかかわった人物として有名なのは、あのアブラハム・マズローだ。説明するまでもなく、マズローの欲求5段階説が有名だ。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求を経て、自己実現の欲求にいたるという、あれである。おそらく全国各地のセミナー講師は、マズローの著作を読んだこともないまま、この欲求5段階説を引用しているに違いない。

マズローはたまたまマーフィーとプライスの保養地に足を運んだ。マズロー夫妻は休暇を過ごそうとしており、宿を探していたにすぎない。しかし、エスリンの2人からすれば、特別な意味をもつ。受付を担当していたスタッフは、宿泊カードに書かれた名前を見て驚愕する。高名な心理学者のそれと同じだったからだ。

<彼は駆け出して行って、マーフィーからもらった『完全なる人間』を持ってきて、この本を書いたアブラハム・マズローですかと尋ねた。マズローはそうだと答えた。ジア・フ(引用者注・スタッフのこと)は何回もお辞儀をして「マズローだ! マズローだ! マズローだ!」と叫んだ。プライスもやって来て自己紹介をし(マーフィーはその日は出かけていた)、マズロー夫妻に、自分たちがここでやろうとしていることについて話した>(同『エスリンとアメリカの覚醒』)。そして、マズローは、エスリンの野望にほだされていった。

マズローが偶然に邂逅するこのエピソードは運命的であり、また、感動的でさえある。ただ、私には、ほんとうに彼らがたまたま出会ったのかはわからない。完全な作り話ではないと思うものの、このストーリーにどこか作為的なものを感じてしまう。

とはいえ、マズローの力も加わることで、エスリン研究所はまた成功に近づいていった。マズローは人間のよりよい生き方を模索し、そして自己実現の研究を進めていった。エスリン研究所、そして、ヒューマンポテンシャル運動のメッセージを要約すると、次のようになるだろう。これから人間が見つめるべきは、外部世界ではなく、内部世界なのだ、と。

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