ところで、私が思うに、エスリン研究所に関わったひとたちのなかでも、マズローの著作は、例外的に読みやすく理解もたやすい。
マズローの文章は、ときに散文のような、詩的表現が散りばめられ、論理というよりはその真摯さで読者を納得させる。マズローは自己を引き上げ、そして、高次の欲求を探求するひとたちが愛ある社会をつくると、感動的な文章を残している。
<高次の欲求を探求し満たすことは、より大きな、より強い、より真実の個性につながる。(中略)自己実現のレベルで生きている人々は、実際に、人類を最も愛する人であると同時に、また、個人的特性を最も発達させた人でもある。>(『人間性の心理学』A.H.マズロー)
そして、このようにも書いている。
<欲求のレベルが高くなる程、容易にまたより効果的に心理療法がなされうる。欲求の最も低いレベルでは、心理療法はほとんど役に立たない。飢えは心理療法では治らないのである。>(同著)
なるほど、まさに食うことが満たされたあと、人びとは社会になんらかの足跡を残そうとするのだろうか。現代人=高次の自分に出会おうと模索する=自己啓発、の等式がそこにはある。
先鋭的な人間解放運動
新たな自分を発見するためか、エスリン研究所では、薬物による神秘主義の講義なども実施された。吸引を公式に認めたわけではなかったものの、使用しているひとたちはいた。関係者が政府関係者から呼び出され、麻薬摘発があると忠告されるたびに、マーフィーとプライスはスタッフとともにLSDや薬物を海に投げ捨てなければならないほどだった(『エスリンとアメリカの覚醒』ウォルター・トルーエット アンダーソン)。
また、エスリン研究所では、参加者がときに裸になり、自己を解放した。マッサージを通じて、これまで無意識だった体からのメッセージに敏感となり、そしてヨガの終了時のような光悦感におそわれた。参加者は温泉に裸のままむかい(そこは日本ではないため、もちろん“大胆”な行為だった)、海風にあたって自然と一体化したあらたな自分を発見した。なお、いまでも残るエスリンマッサージとは、ここを発祥とする。
時代とマッチしたのか、時代が彼らを生み出したのか。エスリン研究所での実験は、退廃的というよりも、先鋭的な人間解放運動として輝き始めた。映画『俺たちに明日はない』がひとびとに衝撃を与えたのは、まさに旧来価値観が揺らいだ状況を描いていたからだった。エスリン研究所が神秘的で開放的なセミナーを開いていたとき、ベトナム戦争は泥沼化していた。それまでの保守宗教は現実を前になすすべもなく、あらたな”何か”が求められていた。
少なからぬ人たちにとって、その”何か”がエスリン研究所にあると思った。エスリン研究所に多くの人びとが押し寄せ、おのれの可能性を追求しようとした。あるものは予定通り帰り、そしてあるものはそこに引き寄せられ続けていった。
エスリン研究所には、のちから見ると、この世界のスターたちが多数、関わることになる。アブラハム・マズローのほか、ゲシュタルト療法で有名なカール・ロジャーズ、ウィリアム・シュッツ、ヘンリー・ミラー、アラン・ワッツ……などである。
マーフィーとプライスはエスリン研究所を拡大していった。部屋を拡大し、セミナーの量を増やし、そしてスタッフを増やし、敷地も広げていった。それはたしかに、米国へ、そして世界へ、<伝統や制度に縛られずに、自由に生きていくことができる。そして、自分が主体である>という考えが瀰漫することにも似ていた。
(続く)
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