上場企業の社長でありながら、海外には一人で向かい、通訳を雇い地元の家具メーカーに電話をかけまくって面談を重ねた異常な行動家である。仕事が決まったベトナムの工場にもあししげく通い、マットレスには自らが寝そべった。
やると決めれば、自らの歌をレコーディングし、それをCDに焼き決算説明会で配ったこともある。川中美幸さんとデュエットし、その曲「めおと桜」はYouTubeで確認できる(さまざまな意味で、一見の価値がある)。
似鳥昭雄さんの妙
しかし、破天荒で、単に行動力があるだけではない。似鳥氏を追っていくと、かなり多面的な姿を見ることができる。
たとえば、似鳥氏は生まれつき逆張り好きなのか、当原稿執筆にあわせて過去インタビューを読み返していると、時代の雰囲気と正反対な発言が目につく。たとえば、1989年の消費税導入のときには、多くの経営者が危機感をにじませるなか、似鳥氏は事業拡大のチャンスだと言った。競合他社が値上げを甘受するなか、ニトリはコストを吸収し消費者へ訴求できると語っていた。
中国が減速している昨今も、テナント料金が下がるので同社にはチャンスだと語った。円安も原材料高も、似鳥氏にかかれば、成功体験を否定してくれビジネスモデルを転換できる好機、と変容していく。
そして戦略家の側面も見えてくる。リーマン・ショックの起きる4カ月前には、驚きの値下げ宣言を行った。このためニトリは客足をつなぎとめ、増収増益を確保している。動物的な勘ではなく、緻密な計算ゆえだという。実際に2006年からコスト削減でキャッシュを確保し、それを2008年の値下げに活用した。
さらに欠かしてならないのは、ロマンやビジョンを社員に熱く語れる情熱家の横顔だ。「日本の住生活を豊かにする」というシンプルで力強い言葉をずっと唱え続けてきた。大風呂敷をひろげ、そこから社員や関係者のやる気をたきつける。
おそらく、こういった多面性が似鳥氏の魅力に違いない。
ところで――。冒頭で紹介した日経新聞「私の履歴書」に興味深いエピソードが載っている。1975年に札幌市に南郷店をオープンさせ、その店舗はエアドームの店だった。米国からドームを輸入したのだが、なんとオープンの前日に大雪が降り、そのドームがつぶれてしまった。除雪作業が大変だった様子が書かれている。
「私の履歴書」で書かれているのはここまでだ。しかし私は、このとき北海道放送のひとが受けた電話を知り、爆笑してしまった。
「家具のニトリです。今倉庫の屋根が潰れました。すぐ取材してくれませんか」(雑誌『激流』昭和51年5月号)
自らに降りかかった災難までを売り上げに結びつけようとしたとは。このひとは、ほんとうに豪快で面白い。
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